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23. 始終、四十

 激高する職員にファイルが閉じられてしまわないうちに、杏奈は素早く数字に目を落とした。
 やっぱり。
 男性収監者数は、ずっと四十名前後。年度を遡っていってもほぼ同じ数字。
「うわ、なんだこれ。三十年以上変わってないじゃねえか……」
 反対側から資料を覗き込み、叫ぶジーロを、職員の男が鼻で笑った。
「囚人が消えるのは、四乃宮ではよくあることです」

 柱にぶら下がったロープの下に、蹴倒された椅子。
 独房の主の姿はなく、床に散らばるブーロ。

「自死か」
 ジーロが男を睨み返す。
 自死とは自分を殺すこと。その場合も、〈鏡の死〉は発動し、本人の身体は霧散――この世から消え失せるのだ。
「珍しくもない光景ですよ。今朝の一件も同じです。前宮殿長ならば、廊下ですれ違った際に、『一人減りました』と一言報告すれよかったのに、あなた方が大袈裟に騒ぐので、わざわざここまで来て差し上げたんです」
「なっ! 職務怠慢を棚に上げて、いうことがそれか! 自死を防ぐために監視するのが職員の役目だろうが!」
 ジーロに責められても、職員は肩をすくめるだけ。
「四乃宮に来るのは、そもそもすでに〈鏡の死〉に捕まっている人間だ。収監前に名前が抹消されている。すでに死んだものとして扱われている人間がある日消えていなくなっても、とやかくいわれる筋合いはない」
「ほとんどの囚人が〈弦月の先触れ〉に耐え切れず、〈鏡の死〉が訪れる前に弱って亡くなってしまうとは聞いていたが。弱る、という意味の解釈の余地がありそうだな」
 ロハンがため息交じりにいえば、
「あなたは、自分の死の瞬間を衆目に晒されたいと思いますか?」
 職員は冷ややかに応じた。
「ヤジを浴びながら死にたいなんて、誰も思わない。だから捕まった人間は、〈鏡の死〉に殺される前に、尊厳ある死を願う。それを邪魔することは、私たちにはできません」
「黙認しろというのか」
「逆立ちしても、救うことなどできないのですから」
 宮殿長と職員が睨み合う。

 男たちが角突き合わせているその隙に、杏奈はファイルの別の個所を開き、視線を走らせていた。
 日毎の囚人数と増減の理由が、詳しく記されたページである。

 白月二十五日。新人が一人増えて四十一。
 十日後の砂月五日、一人減って四十。

 黄月三日。一人増えて四十一。
 黄月九日。一人減って四十。

 翠月十六日。一人増えて四十一名。
 翠月十八日。一人減って再び四十名。

 記されている減少理由は、すべて〈病死〉。
 先程の職員の言葉から推察するに、病死ではなく自殺の可能性が濃厚だが。
 それより重要なのは、「増えたら減っている」ことだ。
 新顔を迎えた直後に減ったり、一カ月近く経ってから減ったり。
 ばらつきが隠れ蓑的に作用して、いままで露見せずにいたのだろうけれど。
「……〈囁き〉」
 杏奈は無音で呟いた。
 新顔歓迎の印に配られるという、千変万化のなにか。
 それが、囚人の増減に関係しているのではないか。
 しかし、職員とのやり取りを見る限り、新宮殿長は存在を知らない様子だ。
 ひょっとしてあれかしら。
 頭に浮かんだのは、初日に聞いた副宮殿長の言葉。

 ――古参の人間しか知らぬ習わしだらけ。

 ロハンに伝えるべきか。
 けれど、密かに与えられる〈囁き〉が、鏡の死に捕まった囚人たちの、唯一の救いだとしたら?
 不用意に口にして、取り上げられてしまったら?
 杏奈はかぶりをふった。
 囚人寄りの立場で考えている自分に気付いて、自嘲の笑みが零れるが、それでも。
 ――いえない。
 最終的には伝えるかもしれないが、もう少し調べてからだと杏奈は頭を切り替え、意識を資料に戻した。
 数字を追っている中で、所々、気になる箇所があったのだ。
 ……ここ。
 ここも。
 同じ日に二人減っている。
 いずれも死亡原因は〈病死〉。恐らくは自死だろう。
 しかし、何度も同じ日に、二人の人間が自殺するものだろうか。
 心中?
 男同士で、何人も?
 引っ掛かりを覚えつつ、杏奈はファイルを閉じた。
 とりあえず、〈囁き〉の正体を見極めるほうが先だ。

 その様子を、ロハンがじっと見つめていたことには、気付かなかった。

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