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13.杏奈が喋った……!

 杏奈は宮殿長から離れ、ゆらりと円柱に近付いた。
 花の浮彫が施された優美なアーチから顔を覗かせて、上をふり仰ぐ。

 箱庭の空だ。

 四方は建物に囲まれていて、他にはなにも臨めない。四角く切り取られた青空が、頭上に広がるのみ。
 これから死ぬまで、自分に与えられる空の景色は、上空を通り過ぎる雲と鳥たちだけになるだろう。それでも、窓ガラス越しではない空だ。
 そのとき、杏奈は頭上を旋回する、猛禽の影に気付いた。
 まさか、来てくれた?

「ねえ!」
 我知らず破顔しながら、杏奈は宮殿長をふり返った。
「ここ、鼠は出る?」
「は?」
「鼠よ、ネズミ! 監獄といえば鼠じゃない!」
 宮殿長がぽかんと口を開ける。その顔を見て、なにかやらかしたような気がしたが、友軍を得た興奮のほうが強かった。――宮殿長が感嘆するまでは。
「アンナが喋った……!」
「あっ!」
 しまった。喋っちゃった!
 慌てて口を押えても、もう遅い。
「よかった……! ショックで口がきけなくなったのかと……」
 宮殿長が泣きそうな顔で駆け寄ってきて、杏奈を掻き抱く。
「ちょ、ちょっと……!」
 杏奈はじたばたしたが、宮殿長の腕はびくともしない。逆に胸の中にぎゅうぎゅう閉じ込められる。
「……カルラ」
 杏奈にしか聞こえない声で、宮殿長が低く囁いた。
「君は僕の〈声聞知り〉のカルラだ。そうだろう? 私が聞き違えるはずがない」
 杏奈は返事の代わりに、小さく首肯した。
「……やっと捕まえた」
 大きく胸を上下させながら、宮殿長が安堵の息を吐く。
「いきなりあそこに来なくなったから……随分と捜したんだぞ。仕草を見て君だと思ったが、声を聞くまで確信できなくて……」
「……翁」
「ロハンだ」
「……四乃宮の長が翁だなんて」
「ロハン、だ」
「ひそひそ話したって、ハグなんてしたら、知り合いだってバレちゃうよ」
 ロハンがくくっと喉を鳴らし、杏奈を腕から解放する。堪え切れなくなったみたいに、ふっと息を吐きだした。
「しかし、ネズミ……。ようやく口を開いたと思ったら、ネズミ」
「あら、鼠って大切なのよ?」
 杏奈の反論に、とうとう声を立てて笑いだす。
「いや、思った以上にずぶ……胆力がありそうで安心した」
「いま、図太い、っていおうとしたでしょ」
「いや、あはははは」
 一頻り笑った後、ロハンは、目尻を指で拭いながら笑いを収めた。
「それで、どうして、ネズミなんだ?」
 杏奈はにやりと笑って、無言で空を仰ぐ。
 おもむろに下顎を突きだし、舌を打ち鳴らした。

 カン!

 鋭い音が回廊に反響する。
 いくらもしないうちに、羽音が下りてきた。
「風太!」
 杏奈が呼ぶと、大きな鳥が中庭に舞い降りて――
「うわっ!」
 見事、ロハンの頭の上に着地した。

「いたたたた」
 ロハンが悲鳴を上げ、身を捩る。宿木が安定しないので、風太がばさばさ羽ばたき、がしがし足を踏み替える。すると鉤爪がロハンの頭皮に食い込んで、余計に痛い目に遭う。
 無限地獄。ネズミを嘲るからこうなるのだ。
「図太い」発言の仕返しは、これくらいにして。
 杏奈は風太に手を伸ばした。
「おいで」
 飛び立つ際に、もう一度ロハンに悲鳴を上げさせてから、風太は杏奈の元に飛んできた。
 ばさり。あやまたず腕に着地して、慣れた様子で翼を折りたたむ。ブーロの袖に風太の鉤爪が食い込んだが、二度と会えないと諦めていた杏奈には、その痛みさえ嬉しかった。

「フクロウ?」
 頭を撫でさすりつつ、涙目でロハンがこちらを見る。
「紹介するわ。私の旦那の風太よ」
「フータ」
「ええ」
「旦那?」
「うふふ」
「……いつ結婚したんだ?」
 そういえば、翁は冗談が通じない男だったと、久方ぶりに思いだした杏奈だった。

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