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やっぱり労働はクソだなオイ

 働くのって最低!CAN MAKE TOKYO!!こんばんはメンヘラです。劣悪な職場環境でやりたくもない仕事を長時間やらされたら、そりゃ病むに決まってるよネ‼️
 金のあるニートなら死ぬまでやれるんで、やります、やらせてください。
 実際ニートになると何故病むかというと、時間だけあって金がないからである。その時間だって無限にあるわけではない。無職が長期化すればするほど、若さを失うし、脳ミソだって退化する。ニートなんかやるべきではない。

 社不な俺のまま生きていこうとケツイしたわけだが、それでも投げやりにならずきちんと仕事してる自分の健気さに涙した。
 「仕事だからやる」けど、「仕事上の理不尽に耐える」ということはもうしたくないし、今後可能な限り避ける。俺が犠牲になる必要はない。
 仕事に限った話ではない。「自分を犠牲にしなければ成り立たない」ことは、もうやめる。自分の「したい」に素直に従う。分別なくやりたい放題するということではない。一応大人だから、わきまえるところはわきまえて、筋を通すところは通して、あとは好きにやらせていただく。

 俺は今まで「みんな好き勝手に生きてんなぁ、死ねばいいのに」(暴論)と思っていたけど、俺も好き勝手に生きればいいだけのことであった。クソワロタ。

 他人の欲望に呑まれるとロクなことがない。他者の望みを叶えることで、ある種の陶酔感にはひたれるかもしれない。しかし、与えるばかりの一方通行になってないか?与えるのが当然の関係になってないか?そんなのは全く健全じゃないぞ。
 まず第一に叶えるべきは自分の望みであって、他人なんか後回しでいいんだよ。

 いやホントにね、俺本来のポテンシャルを発揮できそうな気がする。俺は陰キャでコミュ障な人間嫌いさ間違いなく。高校入学後から15年以上、薄暗い人生をさまよい歩いて来たさ。気づいたらどこに向かって進んでいるのかわからなくなって、自分の望みすらも見えなくなってたけど、それは自分で自分を雑に扱ってきた代償だったのだろう。耳を傾けるべきは外野の声などではなく、己の心の声だったのに。

 社不でいいんだって。社不だけど、「クソ弊社で限界が見えるほどにギリギリまで頑張れた」という成功体験を得たのは大きいぞ。
 社不でもここまでやれる!メンヘラだけど!非メンヘラどもを凌駕するほどの働きぶりだ!あっぱれ!俺はここまでやってやった!
 過去の自分では到底できなかったことだから、やっぱり相当頑張ったと思う。できなかったことができたというのは、偉大なことだ。
 非メンヘラどもの尺度ではなく、社不の尺度で見たら、もう計測不能な域の頑張りだよ。
 苦手なことでもここまでやれるんだ、だけど苦手なことで闘い続けるのはしんどいから、やっぱり得意なことで勝負がしたい。

 向いてることは絶対にある。本当は苦手なことを、「やらなきゃいけないから、みんながやってるから、みんなガマンしてるから」でやり続ける必要なんてない。

 深淵なんか散々見尽くした。見たくもない深淵を、見なきゃいいのに何度も見た。見ては発狂した。去年は本当に人間に傷つけられた一年だった。これ以上ないくらい人間は醜い生き物だと思い知らされた。
 だからといって、世捨て人になる気はない。キライだよ、人間なんかキライだけれど、好きになる必要もないんだから。

 自分の形をムリに変えてまで、やらなければいけないことなんてない。というか、できないんだよ。一時的にはできても、ムリしてる以上は絶対に続かないんだから。

 俺には本来社会人としての適性なんてないの。ないんだけど、やらなきゃいけないからやってるっていう、ただそれだけよ。

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