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ラクになりたかったメンヘラ

 過去の私はたぶん、何でも何かのせいにすることでラクになりたかったんだと思う。そうすることで、「しなくていい」理由ができるから。

 私が生きるのヘタクソなのは、親の育て方のせいだとか、家庭環境のせいだとか、貧乏なせいだとか。もっとヒドイと、そもそも勝手に産んだ親が悪いとかね。「だから」今の私が不幸なのは仕方のないことだ、これは私のせいじゃない、私はかわいそうな人間なのだから。
 そう思うことで、努力することを放棄しても許される気がした。
 本当は心のどこかで、こうなりたい、そういう理想があったにも関わらず。
 自分を変えるということは、途方もなく労力のいることだ。怠惰でクズで、他責思考のままの自分で許されるのなら、私はいつまでもそのままでいたはずだ。

 実際私は、何をするにしてもまず「めんどくさい」が先に立つクソ人間であった。まぎれもなく社会不適合者。社不の鑑。前向きさなどカケラもなかった。
 だから、言われたことを言われたとおりにやっていればいい学生時代、とりわけ義務教育期間中は思考停止でいられてしあわせな時代であった。
 ところが、狭いコミュニティを出て市内随一のマンモス高校に入学するやいなや、カースト最底辺の人間に転落する。
 どうしてこうなった?

 そこからは現実逃避の15年間、私は悪くない、何も間違ってない、傷つきたくない、何もしたくない。
 そんなことを繰り返すうちにうつ病にもなった。死と隣り合わせの日々。親を泣かせ、泣かせてもなお死にたい気持ちは簡単に消えてくれない。

 だって、元々生きていたくなかったんだもん。頑張れば報われるって言ったじゃん、だから高校まで勉強頑張ったじゃん、貧乏なのはイヤだから、大学行って、ちゃんと就職してお金稼ぎたかったよ、私だって。なのにまさか合格までしといて進学辞退させられるハメになるなんて思わないじゃん。
 高校3年間、周りの人間と上手く足並みそろえられなくて、勉強もべつに楽しくないけど将来のためと思ってやって、苦しかったよずっと。なのに行き着いた先がコレって。まさかこの先あると思ってた学生時代4年間丸々なくなって、働かざるを得なくなるなんて。
 だから、正直惰性だった。したいこともない、だけど働かないことには生きていけない、本当は進学したかった、働きたくない、べつに生きる理由なんてどこにもない。

 思い返してみると、18から数年間も割と暗澹たる気持ちで過ごしていたんだな。あのころの自分も、当時の自分なりにやり場のない気持ちを押し殺して、現実から目を背けることでなんとか生きていた。そもそも前向きに生きるなんてこと考えもつかなかったんだ。自分としては、高校で上手くやれなかった分、大学の4年間でたくさん楽しいことしようって思ってたもんな。それが叶わなかった時点で、もう生きる理由なんてなくなっちゃったんだもんな、あのころは。

 自分次第でいくらでも変わる、変えられるのが人生なんだってこと、な〜んにも考えないで生きてきた18の子どもに分かれと言ったところで土台ムリな話よな。若いんだから、何でもいくらでもできると、何にだってなれると、やれると説いたところで、傷ついて動けなくなってる人間にそれができたはずもないんだ。

 まったく後悔してないと言えばウソになるが、若いころの自分は何をやってたん?!何でもっといろんなことやらなかったん?!なんて、いくら思ったとて時間は戻って来ない。

 何もしないで小さく小さく生きてきただけに、人生経験なんてのは圧倒的に少ないわけで、その分今めちゃくちゃ苦労してるんだけど、それでもようやっと自分の人生は自分で切り開くしかないのだと分かって、前向きに生きる道をなんとか模索し始めたところなのだから、まぁよかったよね。

 こんなのは解釈違いだよ!こんなの聞いてないよ!って碇シンジになることは、この先いくらでもあるんだろうけどさ。
 失敗や間違いや傷つくことを恐れずに、行きたい方向に進もうともがいている私は、何もしない私よりもずっといいよ。
 それがどんなにみっともなくてもね、他人なんかたいていはテメェのことしか考えてないから、一生懸命自分が納得いくよう生きていればね、辿り着けるよ、自分の思う自分なりの正解のルートに。すくなくとも、悪くなかったな、頑張ったなって思えたんなら、それでしあわせなんじゃないの。

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