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『怪物』感想

監督・是枝裕和氏 / 脚本・坂元裕二氏

怪物だーれだ

映画『怪物』キャッチコピー


あまりに素晴らしい映画だったため、感想を書かずには居られなかったです。ここから先はネタバレも含むのでご注意ください!


《あらすじ》
大きな湖のある郊外の町。息子を愛するシングルマザー、生徒思いの学校教師、そして無邪気な子供たち。
それは、よくある子供同士のケンカに見えた。しかし、彼らの食い違う主張は次第に社会やメディアを巻き込み、大事になっていく。そしてある嵐の朝、子供たちは忽然と姿を消した―。(公式サイトより)



物語は以下の3つの視点で進んでいきます。

 ①湊の母・早織視点
 ②湊と依里の担任教師・保利視点
 ③子供(湊と依里)視点


①→②→③の順で同じ時系列をなぞるように展開していき、徐々にパズルのピースがはまっていくようなストーリー構成が面白かったです。

① 湊の母・早織視点

 シングルマザーの早織は、湊(小学5年生の息子)と家の前のビル火災を眺めながら会話をしていた。早織は湊に「豚の脳を人間に移植したら、それは人間か豚か」という質問をされる。どうやら湊の担任教師・保利が言っていたらしい。
 翌日、早織は友人から、火災があったビルのガールズバーに保利が居たとの噂を聞く。
 その辺りから、早織は湊の靴が片方なくなったり、水筒に砂利が入っていたり、耳に怪我をしてきたりと学校でのイジメを案じ始めていた。そんなある日、姿を消した湊を探しに行くと、廃墟トンネルに居た。帰りの車で、早織は湊に「お父さんはラガーマンでよく怪我していた」「普通に結婚して、幸せになってほしい」といった内容のことを湊に伝える。すると突然、湊は車から飛び出し怪我を負った。幸い軽傷で済み、検査でも脳に異常はなかったが、湊の元気はない。なかなか本心の見えない湊に問いただすと、学校の担任・保利に「お前の脳は豚の脳だ」と言われたと重い口を開いた。
 早織は学校に行くが、当の本人・保利も校長も淡々と謝るのみ。学校サイドは「誤解があったようで」と繰り返すばかりで、問題を丸く収めようとしているだけの態度に、早織は憤りを感じた。
 そんな時、早織は保利に「湊は虐められているのではなく、依里という生徒を虐めている」と言われる。しかし依里は「湊には虐められていない、先生が湊を叩いた」ということを証言し、保利の虐待問題がメディアを通して世間に広まった。
 問題は終息するかのように思えたが、ある台風の日、
湊が姿を消した。代わりに家の下から、湊の名を呼ぶ保利の声だけが響いていた———。

②湊と依里の担任教師・保利視点

 保利は、生徒たちに真摯に向き合おうと奮闘している新任教師。火災現場のビル近くで彼女と居たところを、生徒たちに見られてSNSに挙げられていた。
 ある日、教室に戻った保利は、湊がクラスメイトの持ち物(おそらく上履きとか体操服?)を投げて暴れている瞬間に遭遇する。その際必死で止めようとするあまり、自分の手が湊の鼻に当たってしまう。湊は鼻から血を流していた。
 また依里(湊のクラスメイト)に関して、登校中の道で転けている・上履きを捨てられている・トイレに閉じ込められている等の様子を目撃する。保利は、依里が湊に虐められているのではと疑い始める。
 ある日、湊の母・早織から、息子を虐めているのではと抗議を受けるが、どれもこれも保利には身に覚えがない。学校サイドは波風を立てたくないため、弁明すらさせてもらえない。保利はマスコミに追いかけられ始め、結局学校を退職せざるを得なくなる。
 絶望感に苛まれた保利は、学校の屋上から自殺しようとするが、その際にトロンボーンの音が学校中に響き渡り、自殺を思い留まった。
 その後、自身の部屋で依里の作文が目に止まる。文章の頭文字には湊と依里のことが示されており、全てを察した保利は、嵐の中湊の家へと向かう。保利は「お前は間違ってない」と湊が居るはずの部屋に向かって叫び続けたが、家から出てきたのは湊の母・早織だった。保利と早織は、行方不明になった湊を廃線跡に探しに行くが、電車は土砂に埋まっていた。2人は土砂を払って電車の天井(?)部分の扉を開き———。

③子供(湊と依里)視点

 湊は優しい性格の男の子。クラス内で虐められている依里(同様に男の子)と、2人きりの時は親しくしていた。廃線跡の古びた車両が2人だけの秘密基地で、湊と依里はお互いに特別な時間を過ごすようになった。
 その一方で、湊は虐められている依里を積極的に助けることは出来なかった。しかし黙って見過ごすこともできず、クラスメイトの持ち物を投げて暴れることでいじめっ子の気を逸らした。その際、湊は教室に戻った保利に取り押さえられた。
 湊は、依里が父親から「お前の脳は豚の脳だ。普通にしてやる」と言われていることを知る。そして、依里から祖母の家に引っ越すことも告げられる。行ってほしくないと伝える湊と、そんな湊を抱きしめる依里。湊は咄嗟に依里を突き放し、逃げるように去って行った。この時、湊は自分でも制御しきれない依里への恋愛感情に戸惑いを覚え始めていた。
 学校ではクラスメイトから「ラブラブ」とからかわれたことで、湊と依里は取っ組み合いになり、湊は耳を怪我してしまう。担任教師・保利に「男らしく仲直りしよう」と湊と依里は握手を促された(この場面以外にも保利は「男らしく」と無意識に発言している)。
 依里と仲直りしたい湊は、廃墟トンネルで依里のことを待っていたが、そこに来たのは母・早織だった。帰りの車の中で、「ラガーマンの父親」「普通の幸せ」について母親が話す最中、依里からの着信を受けた湊は車外に飛び出す。怪我はしたものの、検査の結果脳に異常はなかった。
 とある日、校長先生に会った湊は、誰にも言えない恋心を打ち明ける。校長は湊にトロンボーンを手渡し、「誰にも言えないことは吐き出せばいい」と楽器の吹き方を教える。「誰かにしか手に入らないものは幸せとは言わない。そんなのしょうもない。誰にでも手に入るものを幸せって言うの」と湊に伝える校長。2人の奏でる楽器の音が、学校中に響き渡った。
 その後、湊は依里の家に行くが、共に出てきた父親に引き戻されてしまう。嵐の中、湊は家を飛び出し、再び依里の家を訪れる。そこに父の姿はなく、浴室でグッタリする依里の姿だけがあった。そんな依里を浴室から抱き抱えて助ける湊。
 2人は嵐の中を廃線跡へ向かい、古びた車両で過ごした。遠くで土砂の音が聞こえるが、2人は希望に満ちた表情だった。やがて台風は去り、晴れ渡った廃線跡、自然の中を清々しい表情で駆けていった———。

◼️“怪物”とは誰だったのか?

 “怪物”は、自らが勝手に創り出す妄想のようなものだと私は思いました。この社会では、事実でないことが事実であるかのように伝わったりします。また、情報の受け手も、実際に見ていないことや聞いていないことを信じてしまうこともあります。

【①早織視点においての怪物】
 学校サイド。特に息子の湊を虐めている(と思い込んでる)担任教師・保利に関しては、序盤から偽りの先入観のために好感度は低く、疑いやすい状態にあったと思います。先入観とは「豚の脳を人間に移植したら、それは人間か豚かという話をしていた(これは湊の嘘で本当は依里の父親が言っていた)」「火災があったビルのガールズバーに保利が居たとの噂があった(本当はビルの傍に居ただけ)の2点です。またある意味では、早織視点で何を考えているか分からない湊も、早織にとっての怪物だったかもしれません。

【②保利視点においての怪物】
 早織と学校サイドと子供達。保利視点で見れば、早織は文字通りモンスターペアレント。そして自分を追い詰める学校サイドと、嘘をつく子供達。観ている私としては、周りに翻弄され人生を狂わされていて可哀想になりました。

【③湊・依里視点においての怪物】
 自分自身、クラスメイト、そして大人たち。依里の父親の「お前の脳は豚の脳だ」と言う言葉を受け、マイノリティな感情を持つ自分達が人間ではないと悩んだのではないでしょうか。そんな自分たちを冷やかすクラスメイトも、その悩みを助長したように思います。また、「ラガーマンの父(=男らしさの象徴)」「普通に結婚して、幸せになってほしい(=異性間の結婚が普通の幸せだという価値観)という話をする早織・「男らしく」と事あるごとに言う保利は、LGBTである湊にとって無意識に性差別を押し付けてくる怪物に思えたのではないでしょうか。


 こうして色々と考えてはみますが、私自身も映画の中の“怪物”に翻弄された1人なので、何が正しくて何が間違っているのかは分かりません(笑)間違った表現等がありましたら、申し訳ありません!一度観ただけでは自分の中で消化しきれないので、何度も観て味わいたい作品です。いい映画に出会えることは稀なので、この作品に出会えて本当に幸せでした。
 ラストシーン、個人的に湊と依里は亡くなったと思っていますが、想像の余地がある表現のため観た方と映画談義をするのが楽しみです。ただ1つ確信していることは、湊と依里は社会のしがらみ(柵・怪物)から解放されて“幸せ”を手に入れたということです。
 どんな場面においても、自分に見えているもの(&人)が全てではないし、視点が変われば見え方も変わることを常に心に留めておきたいです。

 宇宙の話とか消しゴムのこととかまだまだ言及したいことはありますが、頭がパンクしそうなのでひとまずこの辺で!色々伏線とか気づいた方がいらっしゃったら教えていただきたいです!

最後まで長文・駄文を読んでくださった方、ありがとうございました。

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