吉野ヶ里線文字の割り付けを考える

 吉野ヶ里の線文字は,文字面がまるごと保存されているため,風化してばらばらになった碑文から文章の全体を再現するような難しさはありません。しかし,すでに情報の蓄積のあったくさび形文字をもとにアッカド語を解読するような容易な作業ではありません。
 まず文字としての解読の前に,銅鐸絵画のような図柄は見て取れないかと眺めてみました。銅鐸絵画には狩り,脱穀,高床倉庫,亀,トンボなどの例がありますが,どれも現代人から見ても容易に形状がつかめるものです。弥生時代中期にすでにあれほど具象的な絵画を描いていた人々が,目をこらさないと形が見えてこないような抽象画に転向するでしょうか。吉野ヶ里の線文字は線の配置がランダムで,絵画として文字としていずれの解読も拒んでいるかのごとく,元の文字列が暗号化される途中でばらばらに分解しつつあるかのような姿を見せています。しかし決してでたらめの殴り書きではありません。「井」の真ん中に棒を差したような交差が何か所かみられる効果から,立体的な絵画が描かれているようにも思えます。石版を上下逆さにしたときにその印象が強まりますが,この試みは先日の天体観測図と合わせて後日当たってみます。
 神聖文字やマヤ文字の解読に当たった人々の多くは,それらの豊かな意匠を見て,一文字一文字が概念を表す,何か象徴的で神秘的な意味が埋め込まれているのだと考えましたが,その線の探求は徒労に終わり,単に原語の音をとらえているだけという結論に至りました。吉野ヶ里線文字は果たしてアルファベットのような表音文字なのか,漢字のような表語文字なのか。トマス・ヤングが最初に解き明かした神聖文字の単語「プトレマイオス」は,下図のようにPTOLMESに該当する7文字が上→下→右→上→下→右→右と配列されていました。

 文字列は必ずしも横一列,縦一列に推移するものではないという事実は,吉野ヶ里線文字にとっては好材料です。まずは,b板の1行目の文字を黄線のように区分してみました。中国を盟主とする東アジア文化圏に属していた倭国では,漢字を主体として古代ヤマト語(仮称)も助詞として交ぜ書きしていたのではという可能性も含めて考えてみます。

 卑弥呼からさかのぼること200年前,「漢委奴国王」印を与えられた奴国の王はすでに,日本の国名が「委」と記されること,自分の称号が「王」と記されることを認識していたのは確実です。b板中で「王」の形を見て取ることができるのは下図の①の箇所ですが,するとその左の②の箇所は「委」を表すと考えられます。この「委」の字面の②のまとまりへの変異の仕方を,一つの鍵として頭に入れておきます。

 これが「委王」を表しているとすれば,該当する女性は卑弥呼と臺與しかいません。残る4区画にその名が見て取れるでしょうか。しかし,どれも漢字の意匠からはほど遠く,いったん考察は行き止まりです。この見方は,赤線の部分が「王」を表しているという淡い仮定のみに基づいてぶら下がっている状態です。
 いったん視線を移してどこかに「卑」の文字が見えないか探してみたところ,右側を上部として見た場合,③の箇所にぼんやりと見受けられます。しかし文字の構造が逆なので,図面全体を裏返してみました。つまり刻み目に顔料などを塗って布に写しとり,祭殿に保存,あるいは聖骸布としたのではないか,という推測です。この逆版で見た場合の印象については,次回以降記してみたいと思います。

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