古今和歌集とさざれ石

 先日は石田三成方の大軍を引き揚げさせた後陽成天皇の勅命の威力に少し驚いたのですが,流れをたどってみると,後陽成天皇はこれに先立ち豊臣秀吉に関白の位を与えた天皇であり,朝鮮侵略から明の征服に成功した暁には,秀吉はこの天皇を中国皇帝として擁立するつもりだったといわれます。こうした戦国末期の朝廷の権威の高まりから,徳川家康は開幕後,禁中並公家諸法度等の抑制策を実施することとなります。
 また,古今伝授という秘伝の存在にも興味をひかれました。平安時代に編纂された「古今和歌集」は,和歌を学ぶための基本として以後尊重され,その解釈は師から弟子に相伝されるようになりました。15世紀後半,歌人の東常縁から宗祇へこれが伝授されたとき,「古今伝授」という形式が確立されたといわれます。相伝の儀式としては,他言しないという誓状を書き,語義や解釈に関する講義を受け,弟子が提出した聞書を添削。最後は書くことが許されない秘説が口伝により伝えられ,師の証明を受けて伝授が完了します。文字によらない口伝という様式は,各宗教のマントラにも通ずるものがあり,”秘伝”の秘伝たるゆえんです。語義や解釈に関しては年を経るにつれ異論が発生し,流派が分かれていくようになりますが,16世紀後半にその分派した古今伝授を集大成したのがかの細川幽斎です。
 その古今伝授,現代の継承者は誰なのかと調べたところ,それまで封印されてきた古今伝授資料は近世以降,国文学の研究の進展に伴い広く公開され,今やweb上ですら「秘伝中の秘伝」が気軽に解説されています。なお「古今和歌集」といえば「君が代」の下敷きとなった「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」の歌ですが,二見興玉神社にその歌碑がありました。

 横にあるのが”さざれ石”で,これは小さな石灰岩が長い年月をかけて1つの大きな岩の塊となったものです。ひょっとして「古今和歌集」に歌われた石の実物かと思って調べたところ,伊勢神宮などにも存在するので,いわば岩石標本のようなものでしょう。

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