不要不急だった音楽と、怠惰だった私


あの時の音楽の色々備忘録。主にピアノと吹奏楽。
前半はできなかったものたちの備忘録、中盤はただの反省文、後半は感想文

2020年3月


所属していた吹奏楽部は3月後半に定期演奏会をやる予定だった。毎年恒例のやつ。2月末くらいからそろそろ本腰入れて練習しようっていう雰囲気になってきていたところで、突然の休校。定期演奏会は、結局なくなった。
同じように定演をやる予定だったほかの部活が、署名を校長に提出して何とか定演をやらせてもらえるようにしようって動いたけど、うちの部活は先輩の判断で署名自体も自粛。結局署名活動もうまくは行っていなかったっぽいけど。

このころ私は高1で、まだ習い事のピアノを続けていた。発表会の曲を探してた時にガーシュインの「3つの前奏曲」を見つけて、絶対にやりたくて先生に渋られながらもめちゃくちゃ練習した。本番2週間前には珍しく褒められるくらいにはなってた。こっちも、本番はなくなった。

ちなみに定演でもガーシュインをやる予定だった、パリのアメリカ人。大好き。しかも私のソロが3つもある。めちゃくちゃ練習してたのにな。担当楽器はあまりソロが回ってこない楽器だったから超頑張ったのに。吹きたかった。

怒っても、悲しんでもどうにもならなかったから、何も感じないようにしてた。それに、あんな状況じゃ自分たちの音楽は不要とまでは言わなくても、不急であることには自分も納得してしまっていた。

2020年4月-8月

気づいたらぬるっと高2になって部活の中では最高学年。しかも何十回も続く定演の責任者だった。

4月 休校
5月 休校
6月 学校再開
7月 
8月 学内で感染者出て休校

4・5月にできなかった定演の代替演奏会の案とか出たけど、どれも実現しなかった。最初の4か月でやったことと言えば「できるだけ楽器を持ち帰って家で練習してください」っていう紙を6月に配ったくらい。新歓できなくて1年生も全然入らなかった。8月くらいにはちょっと活動してた気もするけど、感染者が出て突然の休校になって全部振出しに戻った。さすがに無理すぎて顧問のところで号泣した。

定演できず引退した先輩になんかしたいと思いつつ、自分たちの定演はどうなるかの不安に駆られつつ、やれることは沢山あったんだろうけど活動自体ないからやらなきゃいけないことはあんまりなくて、課題の青チャートを家でやってた。

2020年9月-2021年3月

意外とこの後状況は回復して、文化祭での演奏も、定期演奏会もできた。それぞれの形態を決めるときにちょっと学校の先生とバトったけど。大変だったのは練習とか本番でいろいろ気をつけなきゃいけないことがあったのと、密を避けるための広い場所があまりとれなくて合奏がなかなかできなかったこと。さすがに合奏できないと進捗が生まれなくて、定演1か月前のランスルーを見に来たOGに何とも言えない反応をされた(気がする)。

でも演奏は完成していなくても合奏ができないからっていう理由がある。
どちらかというと私は演出の方の責任者だった。
実はこっちは当時の状況にそこまでの影響を受けることなく、そんなに滞りなくできるはずだった。
でも、やらなかった。

中学でとっくに冷め切ったモチベーションと、休校でたまりにたまった仕事を抱えて、
同期のほとんどとまともな関係を築いてないから頼ることもできず、一人でため込んでは適当にごまかし、より一層追い込まれ、さらにため込んでごまかし、を繰り返した。
夜まで演出関連のことをだらだらやってたら朝起きられなくなったので学校もサボった。
出席日数足りなくて2つくらい補修とったはず。成績もちょっと下がった。
最終的には演出も演奏もひとまとめにしてコロナで大変だったね、でなんかご容赦いただけたけど、私の仕事ぶりは多分ひどかった。

一つ言い訳をするなら、同期がかなり不安定だった。具体的なことはもうあんまり覚えていないけど、いろんな人の間を作り笑顔で取り持っていた気がする。

ちなみにミーティング後に演出案を持って行っては顧問に突っ込まれまくってボツになる、とか、部活後に演出会議をしたり、部活中に揉めてる同期の話を聞いてなだめたりとかを繰り返してたので自主練する時間も取れず、楽器がやりたくて続けたのに、結局あんまり吹けずに、気づいたら引退してた。

余談と感想


ただの余談。
定演前日に用意するべき資料が用意できてなくて、帰宅後に気付き、ダッシュでDAISOへコピー用紙を買いに行き、朝の5時までかけて家のコピー機で印刷した。2時間睡眠で定演やった。あほ過ぎる。

ただしんどかった。頑張れない自分とどんどん追い込まれる状況から早く逃げ出したかった。当時の状況で演奏する機会をもらえた人間がこんなことを言ってはいけないのかもしれないけど、早く終わってほしかった。

あ、でも久しぶりに人前で吹いた時の拍手を浴びる感じはさすがに感動した。拍手浴びるってこんな気持ちよくて、重みと圧があったんだなあって。
何らかの形で音楽できれば人前で演奏なんてしなくていいやと思っていたけど、ステージも捨てたもんじゃないなと思った。

環境も環境だったけど、自分も自分で被害者ぶって気持ちよくなっていた節があって反省点と罪悪感が今でもある。
もっと周りに文句言ったり状況に打ちひしがれる前にできることあったよね、っていう。
あの場所に負の遺産をたくさん残してきた自覚があって、でも年がたつにつれて自分の記憶が美化されていくのを感じていて、まずいと思ったのでここに記録。

やり残したものたち

話は戻り、できなかった音楽たちについて。もともと演奏会にもコンクールにもそんなにモチベはなかったから消えた定演や開催されなかった大会にそこまでの感情があるわけではない。でも、練習していた曲たちが日の目を浴びなかったことには少しわだかまりがある。偶然の不運で結果に結びつかなかった努力たちがいまだにふわふわとしている。どこかでもう1度新たにやり直して、曲の思い出を上書き保存したい。


でも、心のどこかであの時の自分で、あの時の流れの中でしかできない演奏があったんじゃないかとずっと思っている。
ただの趣味でやってるやつが何を偉そうに言ってるんだっていうのはまあそれはそうなんだけど。
世の中のもっと真剣に音楽と向き合っている人たちに比べれば私のくやしさや悲しみなんて全然簡単に丸め込めるものだと思う、間違いなく。

でもやっぱり、やりたかったなあ、あの時に。

まとめ方わかんないや。でもとりあえず世の中が元通りになって、音楽を何も気にせずに演奏したり聞いたりできて、本当にうれしい。
これからもどうかこのままでありますように!

おしまい。


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