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思うこと


昨日の仕事は、今日明日がお通夜と告別式ってこともあってみんなより少し早めに上がらせてもらえた。
別に私は職場から家も近いから遅く帰ると帰省の準備が大変ってわけでもない。そもそも実家も近いし。もうそろそろお店の締め作業も終わるな〜って時間だったし上がらせてくださいってお願いしたわけでもない。いつもは厳しくて細かくてめんどくさいリーダーが「今日はもう上がってください。明日は実家まで帰るの?」と気にかけてくれた。

ちなみにそのリーダーとはこの記事でAさんという仮名を使い私が散々こきおろしていた人である。思い返せばAさんは以前私が生理痛が酷くて昨日みたいに締め作業してる時も「体調も悪そうなんでもう上がってください」って上がらせてくれたな。
なんか現実で出会う人ってアニメや漫画のキャラクターみたいに嫌な奴は嫌なとこしかない!ってわけでは決してないから難しいよね。当たり前なんだけど、いいところもあれば嫌なところもある。以前の記事に書いてる締め作業の仕事を押し付けてくるところに関しても最近は「僕これやっておくんでヤヤさんはこれこれしてください」という具合になんだか態度を改めてくれてる。もっと良い面を見なきゃなと少し反省する。

昨日は帰ってからご飯は1人で済ませて、そうこうしてから彼が帰ってきて、2人で軽く散歩がてら歩いて片道20分くらいのドンキに行って日用品買って帰ってきた。
そのあとはおじいちゃんに向けて手紙を書いた。棺桶に入れようと思って。おじいちゃんのためにというよりは私の踏ん切りをつけるためにという面が強い。前の記事に書いてる通り私はおじいちゃんにあまり絡んでなかったから、最初で最後の手紙になってしまった。泣きながら書いた。つらつら書いてたら便箋3枚分になってしまった。「3枚分も書いちゃった」と涙目で笑いながら彼に言ったら「お前は良い子やね」と頭を撫でてくれた。

あれだけお酒を飲んでたのにここ1週間くらいぱったりと飲んでない。おじいちゃんの体調が悪いかもと聞かされた日あたりから飲んでない。おじいちゃんが亡くなってからも、なんかおじいちゃんが見てる気がして、そもそも飲みたいという気にもならない。
人の行動の指標ってこうやって作られるのかもなとも思った。私は宗教もよくわからないし、神様が見てるから悪いことしてはいけないみたいなのもよくわからない。母方の祖父母が亡くなった時もあまり思わなかったけど、大人になってから起きた今回の件でやっと「亡くなった人が見てるから」みたいな感覚がわかった気がする。そもそも棺桶に故人を想って手紙を入れて、何かを伝えたいなんて思ったことすら初めてだな。自分ながらそんなこと思いついたことにびっくりした。

おじいちゃんが亡くなる前におばあちゃんが「命を大事にしやなあかん。だだくさに生きたらあかんよ」って言ったことも頭に残ってる。(だだくさって方言かもね。粗末に、みたいな意味です)健康に生きることって自分を大事にすることよね。

だめだ、センシティブになってる笑 やけに真面目な、いいこと〜みたいなのばかり書いてしまう。とにかく自分を大事にして、自傷気味に酒を飲んだり、適当に生きたりするのもやめようと改めて思えた。

散歩してから寝ると適度に疲れててよく寝れる。今日彼は用事で朝5時半に起きて出て行った。彼のが早く起きる日は、大抵朝方まだ寝てる私にニコニコしながらちゅってキスしてくれる。それで大体私は起きる笑 なんかシンプルに幸せだなと思う。

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