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後悔とか

父方の祖父が亡くなった。

87歳だった。今までガンとか色んな病気をしては入退院を繰り返してて、でもたまにお正月に会う時にはごはんとかなんでも問題なく食べてるような人だった。私が小学生くらいの頃大動脈解離を患って(昔カトちゃんがなってたやつね)割と大手術をして、それでもけろっと元気に戻ってきたから、病気とかして入院したとか聞かされても心のどこかでなんとなくまた戻ってくるだろうと思ってたけど、風邪からの肺炎には勝てなかったようだった。

肺は呼吸に関わるから、下手したらガンよりも辛いらしい。しかも聞いたら間質性肺炎という肺炎の中でも深刻なものだったらしい。

はっきり言ってしまうと私は特におじいちゃん子というわけではなかった。ちなみにおばあちゃん子でもない。会ってもいつもなんとなく何を話したらいいかわからなくて、距離感も掴めない感じだった。歳を取ると耳もどんどん遠くなってて、会話するのも大変だったこともあり家族の付き合いで会う時に少し話す程度だった。

多分、子どもと絡むのが苦手な人だったのかもしれない。「おじいちゃんに抱っこされた記憶とかないでしょう?」と母が言ってた。

そのくらいの思い入れだったけど、3日前母から「おじいちゃんだいぶ容態が悪いらしくて、会いたい人に会わせてあげてって先生が言ってた」というラインをもらって、離れて住んでいることもあって会うかは私の判断に任せるわと母に言われた。もってあと2日、3日かもしれないと言われてたから「これからすぐに亡くなるかもしれない」と知った上で会いに行くって、どんな気持ちで会えばいいんだろう…と思ったけど、ここで会わないと後悔が残る気がしたので会いに行った。

私が行った頃には呼吸器でなんとか酸素を送り込んで息をしているような状態で、目を閉じていて意識もなかった。酸素を送り込んで口をカパカパさせて息してるような感じ。なんだか痛々しくて、会っても涙は出ないと思ってたんだけど、今年のお正月会った時は元気そうだったのになとか、こんなになる前に近くに住んでた時にもっと会いに行ってあげればよかったな、とか思ったらボロボロ泣いてしまった。

一緒に行った母は「あんたは泣くと思ってたわ」と言ってた。親ってすごいね。一緒に行った祖母は目を潤ませながら笑ってた。

最後まで耳は聞こえてるらしいよ、という話になって、だからといって最期の挨拶、祖父になんと声をかけたらいいかわからず「じゃあね」と言って病室を出た。普段面会は15分までと決まってるらしいけど、特別に祖母は残ることができて祖母は病室に残った。

その3時間後、祖父の心臓が止まったと祖母から連絡があった。夜中に1人亡くなったわけでもなく、看取ってくれる人がいる状態だったからよかったなと思った。

母方の祖父母はもう亡くなってて、まだ元気なのは父方の祖母だけ。83歳だけどとにかく元気すぎるくらい元気で、口も達者でよく母と揉めている笑 決心するには遅すぎるけど、なんとなく、もっと祖母にも会いに来ようと思った。もし私に子どもが産まれても今回の経験を色々伝えるかもしれない。自分の思いとして昇華するにはそれしかないよなぁと。

ややまとまりのない文章だし締め方もわからないけど、自分の思ったことを吐き出したいなと思って取り急ぎ書いた。祖父が生きた人生が後悔のない人生だったらいいな。

それでは。


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