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生まれる前からの「光の約束」

短期で働き始めた職場のすぐ近くには、ある有名な神社がある。自宅から自転車で10分くらいの所にあるのに、かつてはほとんどお参りに行ったことがなかった。

ある日のお昼休憩中、ふと、お参りに行ってみようという気になった。

そして

鳥居の前に立った瞬間、神社全体の圧倒される程清らかなオーラに、はっと

目が覚めた。

気がつくと、神社を取り囲む青々とした緑の木々全体が、さんさんと光輝きながら、 
 
空と同じリズムで、大きく呼吸していた。

「やっぱり、呼吸がすべてだった」

そう伝えられた。
 
その途端、何もかもが神聖なものに映る。

自分のゆっくりとした呼吸のリズムに意識を向けたとき、すべてと一体化した感覚になった。

呼吸を意識することは、自分の内側にある宇宙とつながることであり、光の自分に還ることである。

そして本来は、何の制限もない世界で、私たちには無限の力が与えられていたことを思い出す。

ただ、自分で自分に制限をかけて動けなくしているだけで本当は、光の自分に還れば、見たこともない景色が広がる人生に変わっていく。

「成功ではなく、成長すること」

という言葉がふっと、聞こえてきた。

無限の力が与えられている私たちは、つい外側の世界での成功を追い求めがちだけれど、内側の魂の成長だけを意識して呼吸をしていれば、一段高い所から世界を俯瞰して見ることができ、本来の「光の自分」の望む方向を見いだすことができる。
 
魂が望む未来を見つけて、真っ直ぐに進んでいくことは、自分の中の宇宙を呼吸することである。

呼吸に意識を向けることは、内なる自分と統合することであり、周りからの評価や世間のものさしから自由になることでもあり、それはやはり人間にとって一番大切なことだっだと、久しぶりに神社を訪れて感じることができた。

ゆっくりゆっくり、吸って、吐く、を繰り返していると、だんだんと何もない「無」の感覚が現れてくる。

本来は、「何もない」のが人生。

いい事も悪い事も、ネガティブもポジティブも、

何もない。

ただ、呼吸しているだけ。

自分の意識が、自分があると信じる幻想世界を生み出しては、おろおろしているだけ。

今まで私は、外側に向かって何かを生み出さなければと必死になっていた。けれど努力して、歯を食いしばって、耐え抜いて生み出された何かは、そこから私が意識を離した途端に、

泡のように消えていった

今思えば、あれは何だったんだろうという感覚

つまり、外側で生み出そうとしていたものは、すべてが幻想だった

人は、自分の外側に向かうのではなく、内側にある自分の本質という光を見い出して広げる生き方にシフトしていくと、焦りや、嫉妬や、怒りの感情から解放されていく。

ただ、光である聖なる自分を生きる。それ以外のものはすべてイリュージョンだから、獲得したと思っても、すべては一時的な快楽を享受するだけに終わる
 
私たちの潜在意識には、聖なる自分と、弱い自分が混在している。

どちらにフォーカスするかで、人生の質が変わる。

聖なる自分だけにフォーカスし、自分をよく知り、自分が生まれる前に決めてきた道を思い出して、
 
私たちはただ、私たちの中にある

「永遠」を生きる。

私たちは、死んだら終わりの存在ではなく、永遠になくならない魂の存在であって、魂は何よりも、本来の進むべき道を生きることで、自己の成長を祈っている。

そのために、たくさんの制限がかかった世界と向き合いながら、困難を乗り越えて魂を磨いていく。

ピカピカに磨かれた魂は、もう外側の成功や失敗や、喜びや悲しみに振り回されなくなる。

この世界が、「何もない」世界であることに気づき、

目には見えないけれど「ある」ものに目覚め、愛と調和の振動数と同調して、周りの人たちと優しく笑い合いながら繋がっていくだけの世界は、私たちが集合的無意識の中で平和への祈りを重ね合うことで

生まれる。

「目覚めて生きる」ことは

外側ではなく、内側にある光という聖なる自分を広げて生きることであり、私たちが、

キラキラと輝く人生を送るためには、

呼吸を通して

すべてのものが繋がり合っている
 
ことに気づくこと

そして

そんな安心感で満たされた世界を

より良いものにしていくために

自分の中にあるどんな光を使って

どんな風に

貢献していけるのかを

思い出して生きること

生きとし生けるものすべてが

生まれる前に決めてきた 

すべてのものと一体化するという

大きな「光の約束」を

果たすために みな


呼吸で繋がり合って 生きている














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