御本拝読「東慶寺花だより」井上ひさし
白状すると、井上ひさしさん自体に興味や好意があったわけではなくて、映画「駆け込み女と駆け出し男」の原作本として読んだのがきっかけ。以下、映画版と原作の比較を中心に。
まず、映画の方は120分越えなのにその長さや重さを感じさせない面白さだった。役者さんが実力派揃いなのはもちろん、やはり脚本の上手さが抜群だった。セリフの長回し、早口(特に前半)が気になっていたが、それも含めて伏線であり、原作を読んだら納得。そもそも、原作からして「」内にぎゅっとセリフが詰まった独特の文体で、むしろ映画版はかなりそれをマイルドにした感じだった。井上ひさしさんと言えば遅筆で有名だが、あれだけセリフを練られていたらそりゃあ時間かかるよなと。
原作は、四季折々の山寺の花の景色と駆け込み寺(厳密には東慶寺に駆け込みが叶うかを判断するための前段階でお世話になる御用宿)にやってくる様々な男女の人間模様を描く。全体的にポップで軽やか、文字数はかなり多いのに、すらすら読めるし読後感が爽やか。夫婦や男女の関係のもつれなんてどろどろするに決まっているし、全てきれいに解決しているわけでもないのだけど、妙にすっきりする。今年読んだ小説の中でも一番すっきりしたかもしれない。
一方、映画は少々原作とは趣が異なる。原作よりも物語の起伏やトーンにかなりメリハリがあって、特にその「暗」の部分が印象的。小説や漫画を実写映画やドラマにした場合、いわゆる「解釈の違い」で物議をかもしたり興行的に振るわなかったりするものだが、今作は絶妙に原作を昇華させている。
原作の短編15編を分解してひとつに再構成したのが映画版のストーリーなのだが、登場人物や設定は全てばらばら、結末もそれぞれに違う。なのに、筋が通っているというか、この点では映画版の方がきちんと整頓されてしっかりとひとつの話になっている。個人的には実写化でオリジナルのラブストーリーをねじ込まれると不愉快に思う派なのだが、この映画に関してはその部分もとても良かった。映画オリジナルの部分が、原作で語られなかった登場人物たちの性格や人となりの深い部分をより魅力的に見せてくれる。
もちろんそれは脚本家や監督の創造であり、想像であり、原作者の意図したところではないのかもしれない。故人と話し合いもできないし、答え合わせはできない。が、原作を読み込み、この話の世界を頭の中に作り込み、登場人物を立体的に表現しようという意思を感じる。
本書(文庫本版)の巻末には、江戸時代の駆け込み寺や夫婦の様子についての考察が載っている。こちらを読むと、原作と映画の一番の違いは「女性のリアリティ」ではないかと思う。
原作で描かれる女性たちは、みな、賢く強くて健気だ。その時点で、か弱く優しく夫の帰りを待つだけの妻や、全てを耐えて微笑む糟糠の妻という従来の時代劇で見られる「良き妻」というテンプレートからは外れている。本気で離婚したい、ということではなく別の目的がある話も多いし、実は妻や夫妻の仲の話ではなくて親子関係の話だったりもする。どんな中でも、女性たちは逞しく、その逞しさにはからりとした明るさがある。それは、間違いなく現実に生きた女性の姿に近いのだと思う。今でも、その辺にいそうな。だから、面白い。
一方、映画で描かれる女性の強さは、原作とは少し異なってくる。もちろん、みなそれぞれに賢く強いのだが、その強さには暗さと重さがあるのだ。この暗さと重さが、登場人物たちのここぞという時の言動の激しさに繋がっている。この点は、こちらの方が女性の現状に肉薄している気がする。
それが如実に違いとして表れるのが、映画も原作もラストシーンとなる剣術をめぐる話。こちらも設定から結末までが両者で真逆と言っていいほどに違うのだが、個人的には映画版のラストシーンが好きだ。
原作の結末は、まさに爽やかで納得のいく「うまい」終わり方だった。どこか青春小説やスポーツ漫画のような味わいがある。良くも悪くも、井上ひさしさんの体験や想像の活かされた範囲の美しい結末。
映画のラストシーンは、現実世界で、フィクションの世界と同等あるいはそれ以上に男性に虐げられ抑圧され尊厳や意思を踏みにじられた女性すべての怨念が込められたワンシーンだと私は思う。理不尽な暴力と残虐に対して、同じく暴力で対抗するという結末にどこかホッとした自分がいる。原作通りに打撃を受けて謝る、つまり死んではいないという解釈もできるが、個人的にはあの男はあそこで屈辱的な殺され方をした、で終わっていてほしい。ひどいことを書いたが、今までの自分が男性から受けた恨みつらみが、あれで救われた気がしたのだ。
東慶寺、駆け込み寺というと離縁したいが許されないかわいそうな女性(たまに男性)が思い浮かぶ。事実、そうした登場人物も出てくる。が、単に虐げられた女性たち、ではなく、彼女たちははっきりと意思を持って逞しく生きる人間だ。花や薬草の説明とともに語られる彼女たちは、美しい。
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