御本拝読「くもをさがす」西加奈子

闘病記というより

 正直、四半世紀近く闘病記は避けてきた。気持ちが引っ張られて、落ち込んだり引きずったりするからだ。子供の頃から、闘病記や戦争体験記を読むと体調を崩し、それ系のアニメや映画も吐いたり眠れなくなったりするチキンなひよっこメンタル。死そのものへの恐怖よりも、その過程の辛さや痛みを自分の神経に感じるのが嫌だった。
 本書は、作家・西加奈子さんの、乳がんの発覚~抗がん剤治療~両乳房・リンパ切除の手術~術後の放射線治療までの闘病記。これは、自分で選んだわけではなく、職場の先輩に薦められて読んだ。
 結果的に、読んで良かった。これからも闘病モノや悲劇・死に別れエンドは避け続けるだろうが、西加奈子さんの本書は本当に良かった。闘病記というよりも、非常に冷静な目とであたたかい心で綴られた、約八か月間の観察日記に近い。その文章のユーモアと淡々とした語り口のおかげで、一気に読み進めることができた。
 当時、西さんは、旦那さんと幼児の息子さんと三人でバンクーバーに滞在中。そこで乳がんが見つかり、コロナ禍真っ只中&独特な医療制度のバンクーバーで治療と手術に奮闘することになる。
 外国人ということで、制度や言語の壁は大きい。本でしか暮らしたことのない私には驚くことばかり起きる。医療の現場での間違い、勘違い、膨大な待ち時間。コロナという前代未聞の事態も、それに拍車をかけていた気がする。
 西さんの小説もテンポが良くて好きなのだが、エッセイの時のナチュラルな関西弁とするする読めてしまうウィットに富んだ言い回しが、本書では展開を加速させている。きっと長い長い日々だったのだろうに、プロのレーサーが華麗にコーナリングを決めるようなキレの良さで読み手を引きこむ。

俯瞰と揺れ動き

 そんな中で、西さん一家を支えてくれるたくさんの人々。旦那さんはもちろんだが、生活や治療のサポートにあたってくれる西さんの周りの人たちが、本当にみな美しくて優しい精神の持ち主。きれいごと、とはまた少し違う、それぞれが持つ真っすぐさというか、真摯な「心配り」の仕方が心地よい。
 同じくがんサバイバーの女性、西洋・東洋・オーガニックそれぞれの医療知識のある人たち、同じ年代の子どもを持つ人たち。メンタル、医療、生活、というケアを、それぞれが各々の得意分野やできる範囲で最大限サポートしてくれる。
 引き寄せ、という言葉は好きではない(私はスピリチュアル方面が苦手だ)が、西さんが普段から周りに陽光のようなものを与えているからこそ、今回色んな人が西さん一家を支え、見守り続けてくれているのかもしれない。
 その様子も、あっけらかんと表現されているのが小気味よい。感動的なドラマではなく、どこまでも事実や言葉というフォーカスしたいことに絞って書かれている。西さん一人ではなく、本書に登場する、西さんにかかわるすべての人を、俯瞰でとらえてある。だからこそ、人物たちのあたたかさが活きる
 当のご本人のことを書かれる時に感傷的なウェットさがほぼなく、病状や治療の過程などは大変ドライに、淡々と書かれている。それが、私には良かった。あまりにも切々と「こういう気持ちでこういう辛さでこういう痛みで……」と訴えられると逃げてしまう私だが、医療的な説明を含めて「これがこうでした」と報告されると平気。
 病に戸惑い、奮闘する自分も含めて、どこか少し高い位置から西さんは全てを観察している。これが小説ではないからかもしれないが、「泣いた」「嬉しかった」と端的に感情を書かれてはいるが、それを軸にはされていない。
 あくまで、乳がんという「モノ」と、西加奈子という人間の付き合い方の日記。徹頭徹尾その姿勢なので、揺れ動くご本人の気持ちや葛藤すらも、観察日記の一環になっているのだ。

病とは、何者か

 さて、乳がんとコロナはそもそも仕組みが違うので、同列に語ることはできない。が、西さんの中では、「人間の意思と関係なく存在するもの」として、コロナもがんもとらえられている
 人間の意志と関係なく遺伝子上のエラーを起こして勝手に増殖する悪性新生物も、変異を繰り返し宿主の中で増殖して他の体にも侵入し自らの遺伝子を遺そうとするウイルスも、悪意を持って人間を蝕むつもりなど毛頭ない。彼らは、彼らの遺伝子に従って生きているだけである。結果的に、人間の体が苦しみ、死に至る時がある。その最悪の結果を防ぐために、我々は予防や治療という武器を持って闘う。
 が、はたして、病と闘うとはどういうことだろうか。本書では、がん闘病中に家族三人ともコロナになってしまったり、他の病気で苦しんだりしたことも書かれている。病は、本当に時と場合と人を選ばない。
 西さんの視点は、どこまでもフラットで冷静で、とてもあたたかい。コロナや、がんをめぐる諸々について、私が漠然と感じていたもやもやを、どんぴしゃで的確に表現してくれた。
 この人は、作家だ。すごい作家だ。読了して思ったことはそれに尽きる。自分の感じたことや考えを、文章で適切に人に伝えることができる人。しかも、重苦しくも偉そうでもなく、爽やかな風のように。西さんのこれからに、良い風が吹き続けることを願う。

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