御本拝読「いい子のあくび」高瀬隼子

読ませる文章力 


 言わずもがな、「おいしいごはんが食べられますように」で芥川賞を受賞された高瀬隼子さんである。実は、雑誌の掲載は本書収録の「いい子のあくび」が「おいしい~」よりも先らしく、そう言われると納得。「おいしい~」の方もエッジが効いているが、こちらはもっと毒の鮮度が良いというか、切れ味が更に鋭い
 小説の感想としては間違っているのかもしれないが、まず、「文章力の高い人だなあ」と本当に感服した。テーマも、ストーリーも、明るくも楽しくもない。なのに、ページをめくる指が止まらない。会話文の羅列や無意味な改行が一切ない、ぎゅっとつまった体裁なのに、重さや読みづらさを感じない。本当に「文章を書くのが上手い」人の文章だ。
 特に表題作は、主人公の本音や本心(と言っていいか分からないのだが)はわざと方言や汚い言葉で強めに綴られるのに、そこに無理や不快感がない。文章そのものに品があるというか、良い意味で淡々としている
 これを、フェミニズムやジェンダーの問題を提起した小説としてとらえるかは人によるだろう。私は、単に「平成・令和に存在するある日本人の働く成人女性のスケッチ」としてとらえている。おそらく、生まれ育った家や家庭から一歩も出ずに、もしくは学校や職場も全部女子しかいなかった環境で育った女性でないかぎり、現代の働く女性は本書で語られる感情やジレンマをみな少なからず抱えているだろうから。

悪者ではなく


 結果的に犯罪や裏切りという行為になることはあれど、本書の中には「はじめから法を犯すつもり」「はなから人を害するつもり」の人は主人公含めていない。ぶつかり男やスマホ歩き女は悪い奴と言えばそうだが、その行動は悪意ではなく純然たる無意識からくる行動だったりする。だからこそ、ぶつかられる方やスマホを避けて歩く方は、ぶつけようのない怒りにかられる。
 それと同時に、善人もいない。主人公含めて、根っから良い人でうつくしい精神の人間も出てこないみんな何かしら歪んでいて醜く、それを自覚していない分、性質が悪かったりする
 この辺が、本書のリアリティと創作のバランスの妙だと思う。善人も悪人もいないというリアリティが、「主人公の目線で物語が完結する」という創作の中に非常に巧妙に組み込まれている。
 表題作の主人公の結末について、「罰が当たった」「溜飲が下がった」という人はいるだろう。彼女もまた根っからの善人ではなく、第三者の目から見れば加害者でも性格の悪い女でもある。私は、自分がちょうど二十代の前半の頃から同じような違和感をぼんやりと抱えていた覚えもあるので、他人事ではない気がしてドキドキしてしまったのだが。
 結局、いつもみんなよりも早く気が付いて、汲み取って、推し量って、自分を隠して制限して面をいくつも早変わりさせて、心にとれない疲れを抱えて生きている人が報われない話だ。報われるどころか、最終的に主人公は自分の一度の「犯行」を無数の人から責められ、警察官からも冷たく突き放され、恋人を失い、日常へ戻る。これまでに重ねた小さな善行や無数の我慢は無視され、自分のおこした「事件」のみがクローズアップされて主人公に突きつけられる
 残念ながら、現在この国では、障害や病気やハンデがなければ、何のフォローもしてもらえないし本人も抗弁できない。我慢する人が損をするのだ。
 一見すると救いがないのかもしれない。が、勧善懲悪やスカッとする話だけが「良いはなし」ではない。主人公が救われない、これが今の現実である、とこの苦さや毒を味わえることが大人になることかもしれない

生活と働くこと


 本書収録の三篇とも、女性たちは働いている。そして、結婚したりしなかったり、地元に残ったり出たり、女性の役割を押し付けられたりかわしたり甘んじて受けたりしている。働くって、生活するって、大変だよなあとしみじみ思ってしまう。
 男性が働くとき、自分の能力や年齢で区別や制限をされることは多いだろう。が、女性の場合、そもそも性別でスタートラインにすら立てなかったり暗に潰されたりということは普通にたくさんある。結婚や出産のために名字や働き方や居住地や生活環境を変えるのもほぼ女性だ。そしてそれは、確実なキャリアダウンや足かせとなる。それに対応するために、女性は色んなことを隠したりかわしたりすることを覚える
 生活、という点でも同じことが言える。本書全体で、食事を用意したり誰かと食事するシーンが多いのだが、それがまたリアルな描写で私は好きだ。ごはんを食べるために労働していて、でもごはんの間も実はいろんなことを考えていて、でもごはんの味や美味しそうな匂いや色はちゃんと頭のどこかで認知している。そこが、すごく女性らしいなと思うのだ。
 別に、男女平等論をぶりたいわけではない。ただ、働くこと、生活することについて、男女で感じ方や見え方は絶対に違う。論文だと相当な本数になるそれを、本書は一冊できれいにまとめている気がするのだ。
 余談だが、私は「末永い幸せ」が好きだ。自分も、同じようなことをしたことがある。そして、同じような感情を噛みしめたことがある。こちらも、新しいタイプの友情の在り方として、とても興味深いと思う。

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