御本拝読「ときどき旅に出るカフェ」近藤史恵

等身大の醜さも

 今年出た新作ではなく、第一弾の方をご紹介する。2023年刊の「それでも旅に出るカフェ」も読了済みだが、個人的に、本書の方が先に紹介したかったのだ。カフェと癒しというテーマの小説は、本当に多い(コロナ前後くらいからぐっと増えた気もする)中でも、何度でも読み返している一冊。
「それでも~」の方は、世界観ががっつりコロナ禍で、それが読んで苦しいと思う方もまだ多い気がする。小説の世界くらいは現実逃避したい、と思う。
 本書は、中編の連作。ある女性オーナーの経営する隠れ家的なカフェが舞台で、主人公と女性オーナーの周りで人物や物語が繋がっていく。カフェのコンセプトが「旅」で、旅行好きのオーナーが各国を巡り見つけてきた異国の飲み物やスイーツを提供してくれる。登場人物たちは、オーナーの作るカフェの料理と雰囲気に、時に癒され、時に発見をし、また明日を生きていく
 近藤さんの筆致のすばらしさが、この一話一話の短さにぎゅっと凝縮されている。もちろん、著者の長編も面白いのだが、コンパクトな中に展開や表現、感情の揺れ動きがきれいに収まるこの感覚が、私は好きだ。
 文章は、短く書く方が難しい。その中で、設定や動きを表現しようとすると、本当の力が問われる。本書は、登場人物たちの設定も話の展開も、無駄な言葉がひとつもなくすぱすぱと進む。それでいて、複雑な境遇や心情も繊細に描かれており、何度読んでもじんわりと考えることが広がる。
 本書に限らずだが、近藤さんのご著書では、人間の醜さや矛盾がしっかり描かれている。悪者や悪役がいるのではない。ただ、誰しも醜さを抱えていて、それが他者に向いてしまう人や時があるだけだ。
 なのに、読後感が嫌な気分を引きずらない。むしろ、そこが、人間のかわいさや複雑さとして読み手に伝わる。実は自分の中や実在の隣人の中にある醜さも、等身大の痛みや苦しみとして、解釈しやすいからかもしれない。

 報われてほしい

 陳腐な言葉だが、私も人生の途中までは本書のカフェのオーナーと似た境遇にあった。私の場合は、私が介護した祖母は私以外の子や孫には甘かったが、実際に世話した私のことは最初から最後まで好きになれなかったらしい。寄与分にもならないはした金を渡されて、遺産は私以外の者に分配された。結果、カフェを開くほどの体力もお金もない私は、今は地元や家族を捨てて一人で非正規労働者として細々生きている。まあ、これが現実である。
 それでも、本書のオーナーには、報われてほしい気持ちでいっぱいになる。彼女は、やたら明るいわけでも、全て達観しているわけでもない。冷静でしっかり者、ではあるが、葛藤を抱えた年相応の一人の悩める若者でもある。頼る人のない状況で、カフェをオープンした今も他者の悪意に傷つくこともあれば困ったり立ち向かったりしながら必死にカフェを守る。
 主人公は、オーナーの昔の仕事仲間という「外野」として事の顛末を見守っている。これは、オーナーに対してだけではなく、本書の登場人物たち全てに言えることだ。なんでも解決してくれるヒーローや肝っ玉母さんは出てこない
 もちろん、助けになれそうなところでは主人公も活躍するのだが、基本的には事情や結果は後から知らされていることが多い。そういう点で、登場人物たちは、自力で決断・解決していくことを迫られる
 報われてほしい人たちは、自分でつかみ取っていくしかない。その静かでしなやかな強さを、私は本書に見ている。

旅に出られる所


 カフェのドリンクやスイーツの甘さは、この話の苦さを中和しているのかもしれない。冷静に出てくるメニューを考えた時、特にスイーツは、かなりの甘さが予想されるものが多い。そもそも、海外のお菓子自体がおそらく和菓子や日本茶よりもかなり糖度が高そうだ。
 それが、良いのだと思う。そこでしか食べられないものは旅の大きな醍醐味。そして、普通の社会人は、そんなに頻繁に海外へ旅には出られない。実際に行ったことがなくても、「非日常」として外国を味わうことはとても貴重だ
 「非日常」がコンセプトのカフェで、登場人物たちは非常に卑近な問題で悩んだり躓いたりしている。そのコントラストが、物語の鮮やかさになっている。単に、「若い女性が夢見て開いた癒しカフェでみなさん元気になりました」というお話ではないのだ。
 旅には、はっきりとした目的がある旅と、少し日常を離れたいだけの旅がある。目的のある旅は、達成すればそこで終わりだ。が、日常を離れるための旅には、終わりがない。数日、日常を離れても、戻ってくるのは日常。そこがその人のベースキャンプであり続ける。それも、仕事や家庭があれば毎月はおろか、毎年も難しい。
 本書は、この本自体が、そういう人のための「カフェ・ルーズ」そのもののような存在ではないか。色んなものに追われながら、みんな毎日頑張っている。ふと、疲れた時は本を開けば「カフェ・ルーズ」がある。そんな、拠り所のような一冊だ。


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