御本拝読「ゴールデンカムイ」

 漫画はあんまり読まない、って何回も書いてますが、超久しぶりにハマったのがゴールデンカムイ。流れは、ACIDMANが実写映画の主題歌になる→やったぁ!→実写の色々を読んだり観たりしたら面白そうだった→ちょっと買って読む超面白い!→一気に通しで読む(とはいえお金はないのでコツコツ一週間に一冊ずつ買うペース)学生時代の「鋼の錬金術師」以来、ファンアートをガンガン描くくらいにハマっております。完結してからハマったので、それも良かった。じっくり色々考えたりできる。で、今日はこの一人抱えるゴールデンカムイへの思いを発散させようと。

※以下、ガンガン最終話までのネタバレしながら話をします。 

 キャラクターについての語りは、まあ、後日たくさんやろうと思うので、とりあえず今回は「ゴールデンカムイにおける死について」

 青年誌連載だったこともあり、基本的にエロネタもグロ表現も普通にあります。ただ、個人的には、ゴールデンカムイのエロ・グロは話や表現の上で必要だから描かれているので扇情的でも大仰でもなく、ある意味爽やかというかさらっとしているように感じます。野田先生のセンスや画力のおかげも多分にあるだろうけど、品の良いエロ・グロ。その上で、この漫画では生と死がとても丁寧に扱われていると感じました。
 終わってみれば、実は主要登場人物の半分以上が作中で亡くなったという漫画。特に、刺青囚人はほぼ全員亡くなっている。で、刺青囚人の死はどれも印象的で、コミックス全巻に記された「天から役目なしに降ろされた物はひとつもない」の象徴のような。無駄死にとか無念の死、がひとつもない。自爆に近かったり金塊争奪に巻き込まれた末の死だったりはしますが、おそらくみんな死ぬことで解放されたり安堵したりしているんですよね。
 
 前半で二瓶の死がありましたが、その時点で結構衝撃。谷垣はじめ、主人公サイドのキャラクターたちの成長を促す役回りだったし、すごく味のある良いキャラで「好き!当然こいつは生き残って最終的なキーパーソンになるぜ!」などと安易にワクワクしていた私。ところが、彼は狩猟人としての自分を貫き死んでいく。その描き方がとても強くて美しかった。そこで、この漫画における死の扱われ方が提示された気がしました。
 その後も辺見を筆頭に次々と囚人たちが死んでいきますが、自らの愛を全う(?)したり、誰かへの愛のために死んだり、流れ弾被害ではあっても「偽物」を生み続ける人生を終わらせることができたり。
 私が特に思い入れがあるのが、人斬り用一郎こと土井新蔵関谷輪一郎。この二人の話は、ここだけ独立して短編でも読めそうなほど完成されている。蓋を開ければ実はこの二人の話って本編の金塊争奪にそこまで深くは関わって来ない(大事な刺青の一枚ではあるんですが)のに、ここまでちゃんと人の死を描かれていることに感服。あ、どっちも土方陣営の話だったな。
 用一郎も関谷も、死ぬことで許されたというか、救われた気がします。二人とも自分の大切な人は既に奪われていなくなっていて、退廃的にか狂気的にかの違いはあれど、死に場所のために生き続けていた。だけど、死ぬことそのものが正しいということでもなくて、懸命に生きた末の死だからこそ美しかった。それが、この二人の死に表されていた気がします。

 第七師団もたくさん亡くなります。前半では造反組を中心に下級の兵卒たち、後半はコミックスのカバーを飾るような主要キャラもどんどん死んでいく。私の一番好きなキャラもここで死ぬんですが。なのに、悲壮感とか鬱っぽさがない。みんな、仕事を全うしたというか、本当に「意味のある死」。私の一番好きなキャラの死なんか、話にとって最後のスイッチを押す役割という死ですから。特に後半の宇佐美や二階堂の死は、本人たちの一番の願いが叶う死、という。
 元々が明治期の軍人さん、という前提もあるから「死にたくない!死ぬのが怖い!」というのがあまりないのはあるのかもしれない。けど、それにしても、ゴールデンカムイの軍人たちの死にざまは立派。個人的には、鯉登パパの最期も渋くて好きです。お国のため、とか、仲間のため、というよりは、自分が懸命に生きた(活動した)結果の死、ということが余計に悲壮感をなしにしているのかもしれない。もちろん、大前提は死なないことがよいのだけれども。
 連載中をリアルタイムで追ってなかったのでよく分からないのですが、多分、すごく読者に人気のあるキャラクターも多かったはず。一昔前なら助命嘆願とかありそうな。でも、それにまったく頓着せずにストーリーに従って死んでいく魅力的なキャラクターたち。そこが、この漫画のすごさ。おそらく野田先生の中ではキャラクター案の時点で作中のどのへんで死ぬ、こうやって死ぬ、ということは決まっていたような。
 
 この作品全編を通して死に場所を求め続けていたと私が勝手に思っているのが、土方歳三と尾形百之助。尾形については、いっぱい考察の余地ありすぎてまた別に記事を書きたい。
 土方歳三は至極まっとうな最期。それも、単に歴史のずれが、ということじゃなくて、鯉登の成長の最期の一押しと最終戦の一番大きな獲物の殲滅という。野田先生の愛とリスペクトが詰まった最高の最期。この人は死ぬ際に「悔しい」という思いを滲ませてはいるものの、それは後ろ向きな悔恨ではなくて、ここまで戦い続けて生きたことへの自身の評価の言葉かなと。
 尾形は、本当になんというか……ひょっとしてゴールデンカムイの裏主人公は鶴見中尉ではなく彼なのでは?元来はおそらく淡々飄々とした性格でそれなりにユーモアもあるのでしょうが、特に右目を失った中盤以降は過去にに悩まされるシーンが多く、最期はその悩み苦しみが爆発します。そういった意味では、作中で最も個人的な意味が大きい死だったかも。
 けど、その死につながる尾形の行動原理が、ゴールデンカムイの話そのものを大きく動かしてきたんですよね。鶴見中尉や土方の思惑と主人公たちの行動がメインになっているように見えて、尾形の言動が実は時間をおいて効いている。かっこいいキャラクターとしてとても人気があるのは私でも分かりますが、尾形はその死に方が生き方に直結した「一人で完結されてしまった」孤高さ。その孤高の死が、すごく印象的でした。

 そんなゴールデンカムイ。死のシーンの多さに対して、生のシーンは数こそ少なくても同じくらいに大きい意味を持っています。特に、青年誌連載の漫画で出産のシーンがあったり、赤ん坊や児童年齢の子たちが魅力的にキーになっているのは珍しいのでは。
 その直前まで殺し合いしてた人たちが出産に立ち会うことになって協力するとか、あれほど狂気的な鶴見中尉が囚人夫婦の赤ん坊を丁寧に扱っているとか(フチとの繋がりのため、ということはあるでしょうが)、基本的にこの漫画の中では赤ちゃん・子供が傷つけられない。数少ない被害者になってしまった子どもは、それはまたその死に大きな意味を持つし。
 例えばチカパシのエピソードも、ストーリー展開的にはあのまま谷垣と同行した方が面白く旅を進められるかもしれない。シリアスになっていく中で、ギャグ要員として使いやすいかもしれない。だけど、本当にチカパシの幸せを考えて、あそこで別れる。野田先生の人格や思考がよく出てるところで、私がゴールデンカムイ好きな理由の一つ。
 子どもが生まれることで強くなったり考え方が変わったり、大切だからこそ奪われた時に心が壊れてしまったり。生によってその人の人生が大きく変わることを描いている漫画です。

 さて、今後もおそらくキャラ考察は書くと思うんですが、最後に、最後にこれだけは……!!私は、菊田特務曹長が大好きなんです。キャラ香水を買ってしまうほどに、多分人生で一番漫画のキャラクターに愛情を注いでいるのです……!!ま、もともとダンディ・苦労人は好きなので当たり前っちゃ当たり前なんですが。
 この人も、主人公に超重要な関わりを持つキーパーソンだけど、最終決戦より少し前に死んでいきます。しかも、めっちゃ激しい戦闘中にとか自分の意思を貫いて、とかではなく不意打ちで。その死も大きな意味を持っているのですが、全体としてはここまで語ってきた死の中では不憫ゾーンに入っちゃう。その不憫さも大好き。
 正直、最初は「え、死んじゃうの?」でした。登場が作中後半でそんなに活躍シーンも多くなかったのに?と。でも、よく考えれば、この人はあそこでああいう死に方をするしかなかったよな、と思える。だってあの状態のまま五稜郭やあの列車で戦えないもの。主人公サイドに寝返る人ではないし、かといって最後まで鶴見中尉についても行かないだろうし。最悪、ジレンマに苦しんで中途半端に傷ついてしまいそう。だから、彼の死も必然であり美しい最期でした。
 


 
 


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