御本拝読「あなたの牛を追いなさい」枡野俊明・松重豊

十牛図を考える


 庭園デザイナーでもある僧侶・枡野俊明さんと俳優・松重豊さんの、対談形式で「十牛図」を読み解きながら禅の考えに触れる一冊。「十牛図」とは、禅宗における悟りのプロセスを10枚の絵で示したものとされるもの。ストーリーにはなっているけど、8枚目は真っ白だったりする、不思議な図。私が一番最初に見たのは、「ブッダとシッタカブッダ」だったな。
 なんでこの本を読んだかって、単純に私が松重豊さんが好きだからです。特に、2020年発行の「空洞のなかみ」を読んでから、「この人の考えていることをもっと知りたい」とインタビューや対談も読むようになりました。遅咲きの俳優さんだからこそ、長い苦労や葛藤があり、なのに飄々とそれを受け入れてる感じが好きです
 さて、知り合いに禅僧(同い年)はいるけれど、ちゃんと禅について学んだことなどない私。理解できるだろうかと心配だったのですが、さすが桝野俊明さん。このズブの素人でもさくさくと読み進められて、なんとなくこういうことかなくらいまで教えていただけました。
 漠然と「禅とは」というテーマだったらもっと読むのに苦労したかもしれない。「十牛図」の解説というテーマに沿ってだからか、大変頭に入りやすい。
 後半には、色んな人からの人生相談の形でそれまでの話のおさらいをするのですが、その流れも大変分かりやすかったです。そこでおさらいしておいて、いよいよ確信の「十牛図」の終盤の話へ。本の構成としても、近年では稀にみる良書でした。
 

縁と運と生活と


 冒頭で、なぜこのお二人の本になったのかという説明があります。それが既にすごい偶然というか、「縁」の話でもあります。有り体に言えば「世間って狭いのね」なんですが、「出会うべき人には、必ずどこかで出会うようになってる」とも感じられます。それを生かすも殺すも自分次第なんだけど。
 そういう意味で、枡野さん・松重さんの人生の中で起こっている「出会い」「別れ」も、その後の動きや今に至るまでの流れを考えるとなかなかにすごい「運」。どれかひとつの出来事、誰か一人との出会い、それがなかったら今のお二人にはなってらっしゃらないわけで。
 終盤で「生かされている」というワードが出てきますが、これは歳をとる度にそうだなと思います。もちろん、自分の努力や選択で人生はできていくんだけど、自分ではどうしようもない大きな力が働いて思った通りにいかない時もたくさんある。けど、それも含めて「生かされている」から、私たちはその中で精一杯えっちらおっちら歩いている
 そうやって人生や世界という長いスパン・ワイドな視点の話もしつつ、その始まりと終わりが、掃除や整理整頓といった毎日の生活に収束していくのもすごい。でも確かに、と納得させられる。

優しく粋な先輩


 本書では、若者・学生に対してお二人の非常に優しい視点が散見されます。年齢的にもキャリア的にも「最近の若者はなっとらん」的なことを言われても当たり前でしょうが、全然そんなことはなく。大変だよね、頑張ってるよね、と若い人たちに寄り添っておられる感じがジーンとします
 それは多分、お二人もそういう苦労や葛藤のあった若者で、それを乗り越えた大先輩だから。それを自分の中で深く受け止めて活かしておられるからこそ生まれる温かさや優しさを感じます。私は今三十代後半で、ちょうど、若くも老成もしていない中途半端な位置にいますが、こういう人生の先輩になれたらなと思いました。
 禅とも「十牛図」とも関係ないんですが、私が読了後に思った感想が「人間万事塞翁が馬」。牛の話の本で、馬の言葉の感想。おお、愚かなる凡人よ
 本書が面白いのは、思想や宗教の難しい話ではなく、お二人の人生であった実際の出来事という具体的な例から話や論理が展開していくから。松重さんの俳優として食べていけるまでにあったことも、枡野さんの庭に対する思いと修行の日々も、禅や「十牛図」にあてはめて解説してもらえるので分かりやすい。
 「牛」は、もちろん自分で探そうとしなくては見つかりません。多分、それを明確に実行されているのが、禅僧や宗教家の方。だけど、私のような愚かなる凡人も、日々一生懸命生活しているだけで実は「牛」の方へ無意識に歩いているのかもしれない。見つけた「牛」に手こずっているのかもしれない。周りの人も、そうなのかもしれない。
 そうやって生きている道程で、お二人のような柔らかな思考や優しさが持てたらよいなあと思うのでありました。

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