御本拝読「マダムが教えてくれたこと」ユニカ

「大人の女性」

 マダムとは、フランス語で「既婚、あるいは若くない女性」。マドモアゼル(おじょうさん)、ムッシュ(男性、紳士)と同じ種類の単語である。英語のミズにも相当するらしく、既婚か未婚が分からない大人の女性全般に使える言葉らしい。
 「大人の女性」とは、どういう人だろう。成人している、結婚している、就職している……年齢や肩書きをさておいて、おそらくそういう条件ではないのだと思う。子持ちの兼業主婦が全員「大人」かと言われると、目に余る行為を繰り返したり「子ども」としか思えない言動しかできない人も大勢いる。独身高齢女性もしかり。
 身なりの清潔さはもちろん、落ち着きや振る舞いの穏やかさ、他者や異物を柔らかく受け止める懐の深さ。経た年数分の経験が、人格に蓄積されていることが「大人の女性」の条件ではないだろうか。
 本書は、喫茶店で働くファッション好きな女子大学生が、客であるおしゃれな高齢女性(=「マダム」)との交流を通して、ファッションはじめメンタル面でも良い影響を受けて「大人の女性」にゆるやかに近づく一歩目を描いた漫画である。
 後の項で記すが、漫画と言ってもきらきらの少女漫画やわくわくの少年漫画や,ましてレディコミともまた違う。漫画耐性の低い私でも疲れずに読めたし、今も何度も読み返している一冊だ。

 距離感と関係性

 まず、主人公の女子大生と「マダム」が、店員と客というやや遠い距離にいる。親族や友達、学校・職場の上司や先輩ではないところが、主人公に自分と「マダム」を客観視させ、冷静に本書のテーマをなぞるキーになる。毎日会う、定期的に必ず会う、という確かではない関係だからこそ、素直に受け入れられることも多い。
 主人公は、素敵な洋服の着こなし方や時間の使い方を「マダム」から教わるが、決して説教されたり押し付けられたりしているわけではない。逆に、好奇心旺盛な「マダム」が主人公や最近の文化を積極的に褒めたり取り入れたりするシーンもある。
 「マダム」はいつだって、流れる時間をゆっくりと味わっている。チャーミングで、自分の芯があり、無理な背伸びや不機嫌を表に出すこともない。作りこんだ「大人らしさ」ではなく、自然に「大人になった」人の振る舞いである。
 「マダム」が楽しそうにやっていることを、自分も良いと思い、真似してみる。それだけのことが、主人公の視点や思考を少しずつ「大人」にしていく。
 作中に主人公の母親も登場し、こちらも素敵な「大人の女性」なのであるが、主人公は「マダム」との出会いまでそれに気が付かなかったのである。同居している母という近すぎる距離だと、それに慣れてしまっていたり、「大人の女性」同士としてよりも「母と子」としての会話や対応が多くなる。もちろん、母娘、友達、先輩後輩という近しい距離の人間同士の関わりは大事だが、近いあまりに、その良さも悪さも情というフィルターで曖昧に見えなくしてしまったりする。
 「マダム」という他人から、今までと違う視点をもらうことで、近しい人への感情もゆるやかに変化する。それが、実にリアルで自然だと思う。
 終盤、「マダム」が入院したことすらも、主人公は「マダム」の夫が店に訪ねてくるまで知らない。もっと言えば、最後まで主人公は「マダム」の本名すら知らされない。主人公と「マダム」の間にあるのは、喫茶店でのわずかな時間や少しの会話だけである。
 入院した「マダム」を見舞った主人公は、常ならぬ様子に戸惑い葛藤する。今まで教えてくれていた「マダム」がいない。しかし、自分の頭で考え、心を込めることで、主人公はきちんと前へ進む。「大人の女性」に一歩ずつ近づくように。
 

バンド・デシネ

 さて、本書が漫画っぽくないと前述したが、フランスのバンド・デシネに一番近いかもしれない。1コマが大きく、セリフや人物はしょっちゅうコマや枠線を飛び越え、力強い太めの線と書き文字も相まって、漫画というよりもおしゃれなアート作品のようだ。
 仕様はコミックエッセイに近いが、ストーリは完全に創作でセリフやモノローグも多くない。さらっと読めるが、どのコマもページも、小技や遊びが効いている
 バンド・デシネはフランス版の漫画のようなものだが、この作品は、日本人だからこそ描けたのだと思う。シャープなイラストのセンスやファッションの感性はフランスに近いものがあるが、そもそも「年齢や生活圏の異なる人間が気軽に会話を交わすことが珍しい」という前提が、日本でないと成立しない気がする。
 漫画もバンド・デシネもピンキリ(大人の女性はこんな言葉使わんなー)で、ものすごくくだらなかったりエログロが過ぎたり、幼稚で作者の自己満足なだけなものは星の数ほどある。私は漫画を読むのも疲れるようになってしまったが、本書は疲れた日の寝る前や夜勤の出勤前のコーヒーのお供に、何度も読み返して心地よい刺激をもらっている。アニメや実写で世を沸かせたり、流行ってみんなの教科書みたくなる漫画も良いだろうが、こういう作品の方が、私は好きだ

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