御本拝読「謎解きはビリヤニとともに」アジェイ・チョウドリー

交錯するすべて

 久しぶりに、みっちり詰まった謎解きミステリーを読んだ。ただでさえボリューミーなハヤカワミステリ文庫の、インドの書き手による大どんでん返しな大作だ。
 イギリスとインド、現在と過去、二つの殺人事件が交錯する形で話は進む。過去、といっても数か月前の話なのだが、一章ごとに話の時間軸が変わるので読みづらいかと思いきや、むしろ逆で、主人公の心情や言動に大きな変遷がある故にその方が読みやすく、書き手の構成力の高さを知らしめている。
 ある二つの事件は国と時間を超えて繋がり、一つの時系列を作る。関係者は多くないものの、主人公を含む全員が何らかの秘密と謎を持っており嘘をつき、特に終章の怒涛の展開はまったく予想がつかない。どんどん二転三転する話に、一気に読みきってしまった。
 犯人が見つかって終わり、巨悪が暴かれてめでたし、ではないところも新しい。犯罪を犯した人間に、裁かれる以外の選択肢を、しかも主人公自らがひねり出す。終章まで読み切ってから、あらためて主人公の設定や移り変わる心情や態度を考えてみると、本当によく一冊で収まったと感動する。
 伏線の張り方も、ミスリードの仕方も、心地よい。特に、人物描写が秀逸で、読み終わってからだと「最初から騙されてた!」と笑顔で膝を叩ける。実は、嘘をついたり隠し事があったりしつつも、それぞれの人物の根本的な考え方や言動にはブレがない。現実に生きてる人間も場面や状況によって人に見せる顔が違うし、その人の顔色や様子を一般論で勝手に判断するのも周囲の勝手だ。この繊細な人物描写が、昨今のミステリーの中でも群を抜いて上手いと思う。

成長する主人公


 主人公は、インドの元刑事・カミル・ラーマン。インドである事件に関わったことで組織に命を狙われ、解雇の憂き目にあう。家族や仲間や婚約者を捨て(実質的には向こうから捨てられ)、イギリスでレストランを営む、父親の友人の家へ単身で転がり込む。理不尽な解雇や親しい人たちとの突然の別れという大きなショックから立ち直れないまま、下宿先のレストランで観光ビザのままずるずるとウェイターとして過ごしている。
 偉大な父と優しい母に包まれて挫折なくキャリアを積み、社会的な地位もある美しい婚約者もいて、順風満帆な人生。警察官としての誇りをもち、自分の親を含めて周囲の人間を信じ、間違いなく正義が正しいと信じている。
 そんな彼のプライドや自信を完膚なきまでに叩き潰した、ある殺人事件。それが、実はもっと大掛かりな年月と組織に繋がる事件の一端になるのだが、まずはそれがカミルの「今まで」を粉々に打ち砕く。彼は、失意の中でぼんやりとレストランで働き、未来に光を見いだせず、過去を後悔するばかりの人物として登場する。
 カミルは、下宿先の夫婦とのふれあいや下宿先の夫婦の娘・アンジョリの存在、そして何よりイギリスで起こったある殺人事件の捜査を経て、徐々に立ち直っていく。
 その上で、彼は色んな事を知っていく。家族のあたたかさや、帰ることができる「家」の大切さ、真実は正義とは限らないこと。これは、確かに殺人事件を解決するミステリー小説なのだが、一人の成人男性の「育ちなおし」の物語だ。
 事件の捜査をするうえで成長したカミルは「今から」を考えるようになる。結果的に、物語の初めに彼が希望していた未来や理想とは、まったく違う道を選ぶ。おそらく、インドで順調だった彼だったら、選ばない道だ。
 それが社会的な正義かどうかは分からない。カミルが自分で考えて選んだこの結末は、ミステリー小説の中でも斬新で、賛否両論あるだろう。しかし、個人的にはとても納得できるし、法や社会正義を通さないで「彼の正義」を貫く姿勢は新しい。精神的に息子が父から独立していく成長譚としても、とても読みごたえがあって面白い。

対比する価値観


 一冊を通して、さまざまなことが対になっている。例えば、カミルの信仰する宗教と、下宿先の家族の信仰する宗教は違う。そもそも、舞台もイギリスとインドで違うし、下宿先の家族たちのような移民たちとインドに根付いたカミルたちで生活の様子や価値観も違うカミルの元・婚約者と、今回の捜査のパートナーとなるアンジョリも対照的だし、捜査が進むうえで華やかな世界のどす黒い闇を見ることにもなる。
 本書の一番のポイントは、その様々な対比をくぐってカミルが事件を解決していきながら、自身の価値観をひっくり返していくところかもしれない。けっして、以前のカミルが良くないというわけではなく、元・婚約者の言う通り、根は真面目で心優しい青年である。ただ、人間的であたたかい強かさと、エリートなだけでは身につけられなかったであろう逞しさを身につけた。その結果、冒頭でのカミルと終章のカミルでは、真逆の考えや行動にいたっている。
 政治や組織という巨大なものも本書のファクターとして重要だが、終着するのはカミルの手の届く範囲、ということも良い。実は最初から最後までカミルの傍に、大切なものがある。このクオリティで書き続けるのは本当に難しいと思うが、この著書の物語をもっと読みたい。

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