御本拝読「差配さん」塩川桐子

コロナ余韻にて

 もう仕事復帰はしてるんですが、やっぱり本調子じゃないなあ、という週明けでした。幸い、体はもう8割がた通常運転なんですが、薬のアレルギーで蕁麻疹が……一番ひどい時は服で隠れる部分の肌の白い所にあますことなくぶつぶつがひしめきあってましたが、あとは手指を残すのみ。いや、それが気持ち悪いんだけども。ぶつぶつがひいた後も、乾燥してたみたいで白くかさかさ荒れてるので、汗かいたり何かで擦れると不愉快な感覚に。
 あと、鼻詰まりがひどい。確かに今、味覚はないんですが、これは味覚障害っていうよりも単に風邪で鼻が利いてないののひどい感じ。まあ、気長に待ちます。
 そんな中、普通に本が読めるのはありがたいこと。通勤中に本を読んでると、日常って感じがしてほっとします。が、やっぱりまだ複雑な本や長い本を楽しめるほどにも回復してないのか、今はひたすら昔買った本(主にエッセイ)を読み返してます。
 そんな中で久しぶりに読み返してよかったのが、塩川桐子さんの「差配さん」。こちらは「浮世絵風漫画」という感じの、一風変わった読み味の漫画です。塩川さんの他の作品も数が多くないのですぐに読めるのですが、本当に塩川さんにしか描けない世界観の漫画
 特に本書「差配さん」は、浮世絵風の絵柄×猫たちが主役で、二重に楽しめる一冊。若旦那が活躍する方のお話とも微妙に登場人物がリンクしているので、そちらもぜひ。

あっさり猫の情

 本書の主人公(狂言回し)は、顔に傷のある大きなどら猫・通称「差配さん」。本来、「差配」とは、江戸の町の長屋における世話役を引き受けた者(多くは、歳も経験も積んだ人生のベテラン)のこと。本書の「差配さん」は、長屋住まいでも人間でもないけれど、その面倒見の良さからみんなに慕われる人気者。
 親に捨てられた子猫を飼い主に縁づかせたり、ちょっとした困りごとを抱えた人や猫にお節介をしてみたり。けっして自分から望んで人助け(猫助け)をしにいく方ではないのだが、「差配さん」を頼ってくる者たちを放ってはおけない気のいいどら猫。一応、寝床にしている家はあるようだが、そこは自由なお江戸の暮らし。ふらりと好きな場所に好きな時に流れていくのは、正しい猫の姿。
 さて、本書の中にもたくさんの「人情」が出てくるのだが、「差配さん」はかなりあっさり、その情をかける。母に置いてけぼりにされた子猫にも、男に裏切られて自死した娘にも、寒風の中捨てられていた子猫にも、病で逝ってしまう子にも、等しく静かに、その情は及ぶ
 登場人物たちが猫である、というのと同時に、時代が江戸である、ということも大きな要素かもしれない。もちろん、この時代だって命は大切にされていたのだが、仕方のないことは仕方のないこととして受け入れる潔さがある。そのあっさりとした情が、余計に猫や人の生や情を美しく見せる

描かれていない

 さて、本書には、敢えて「表情の描いていないコマ」がいくつかある。のっぺらぼうのように、着物の柄すらも細かく描きこまれているのに人物の表情のみが描いていない。それは主に人型をとっている猫たちの、「おそらく何とも言えない表情をしている」時のコマなのだが、それが全体にかなり効いている。
 その「何とも言えない表情」とは、おそらく特別に複雑な表情ではない。日頃の生活の中で、誰しもが普通にするであろう表情なのだ。それをあえて描かないことで、この漫画が「登場人物たちにとっての日常」であることが印象深くなる。不思議なことに、表情のないコマも、読み手がそれぞれちゃんと表情を脳内で補完できているのである。なぜなら、自分も日常的にする表情だから。
 同時に、物語の結末や伏線回収、も敢えてぼやかしてあったり、悪いことをした人(もしくは悪いことをしようとした人)が完全に懲らしめられる展開もない。それが、生臭くないリアリティを感じさせる。もちろんそもそもそこまでの悪人が出てこないということもあるが、心地よい読後感になるのは
全体的に「ありそうでない」話だからかもしれない。
 時代物小説にありがちな深い人情噺やもつれる人間の機微、猫ものにありがちな猫至上主義が、本書にはない。あくまで、塩川ワールドを補完する装置としての「差配さん」であり、猫たちなのだ。
 絵柄そのものについても言えることだが、かなり無駄を省いた端的な線と展開が、本来の日本人の持つ情や関係を相まって味わい深さを増している。ぜひ、もっとたくさん作品を読みたい漫画家さんである。

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