御本拝読「面白南極料理人」西村淳

世界の果てでも

 自宅でも職場でも、お出かけ先でも、前の食事から時間が経てばお腹はすくお腹がすいたら、ご飯を食べる。予算に制限はあれど、大抵は各々が食べたいものを食べたいときに食べている
 例えば、学生寮や合宿所では、そこに制限がかかる。自室で3食食べるなら別として、共同の食堂や決められた時間の中でしか、食事ができない。それでも、気に入らなければ外に出る、買ってくる、等の逃げ道はいくつもある。
 食事に関する制限の最たる場所の一つが、南極での天候や環境についての観測を職務とする、南極観測隊である。日本はおろか、どんな大陸とも条件の違う極寒の中、調理には大きな制限がかかる。ほぼ一年間の任期の間、外界と断絶されているため、途中で補給もできない
 何より、職場=生活空間であり、個人の部屋はあるものの食事の時間は基本的にみんな一緒。どんなコンディションの時でも、10人足らずの同僚たちと顔を合わせて毎日毎食を共にする。書いてて思ったが、宇宙飛行士の仕事と変わらないではないか。
 宇宙と違うのは、南極では、調理担当のエキスパートが毎日食事を作るということ。食材も調理方法も限られている中、南極の「大将」は、どうやって乗り越えていくのだろうか。

お仕事、食べ物

 まず、南極でのグルメやおいしいものをたくさん出てくることを期待されては、ちょっと違う。これは、「あまり知られていない南極観測隊のお仕事を、最初から最後まで知れる」本である。
 著者の西村さん(以下、「大将」)が、観測隊の隊員に選ばれてから、訓練、食料・食材の確保と準備、やっと出発までの流れが既にぎっしりである。当時は約四半世紀前で、技術もインターネットも今のようには発達していない時分。大将の四苦八苦ぶりが知れるが、語り口が軽妙なので、悲惨や苦労よりも純粋に驚きや発見ばかり。
 私は人より本を読むのが早い方だが、本書は時々語句や地図を調べながらゆっくり読み進めた。再読するときも、じっくり読むようにしている。一種の冒険譚だけどファンタジーではない分、お仕事小説の趣がある。
 基地に着いてようやく南極での「大将」の活躍が始まるが、やっぱり四苦八苦。普通に100℃の沸点まで届かない中で、どうやって加熱調理を?タンパク質や炭水化物は長期保存が可能なものもあるけど、ビタミンやミネラルは?
 贅沢な美食ではなく、かといって極限のサバイバルでもない。本当に、「毎日毎日額に汗して働いている男たちのためのご飯」を、大将がどうにかこうにか一年間作り続ける
 そんな中、誕生日や記念日には、素晴らしいディナーが振舞われたり。大将も調理場だけにいるわけではなくて普通にみんなと一緒に力仕事の労働をしなきゃいけないわけで、そんな時には世のワ―ママさんたちと同じで、時短料理が出たり。一般人は絶対覗けない場所なのに、なぜか一般人の家庭と近いような気がしてならない。

実は、群像劇か

 何度も読んでいると、実は本書は「南極」「食事」という大きなテーマの奥に、「職場の人間関係」というものが隠れているのが分かる。大将はじめ、観測隊のみなさんに、悪人や意地悪な人はいない。むしろ、非常に優秀で有能な人格者ばかりが集まったところだ。それでも、閉鎖された広くない場所で一年間も共同生活をしていると、殴り合いやリタイヤという事態はないものの、やはり微妙な関係や事件は起きてくる。
 どちらかが悪いわけじゃなくても、会わない人同士はいる。仕事、という繋がりが、良くも悪くも合わない人間同士を縛る「それを大将の料理が万事解決★」みたいなティーンズ小説の展開はないのが、本書の面白み。
 それぞれの事情や信条がある中でも、仕事仲間である以上、みんなが少しずつ譲ったり黙ったりしながら任務を遂行しなければならない。まして、南極という地では、本当に些細なミスやすれ違いが命に係わる。その極度の緊張というストレス状態も、ひっそりと伝わる。状況だけ並べれば、結構なシリアスな話である。
 それなのに、悲壮さがなく、楽しめることはみんなで楽しんでいこうという様子が軽妙に書き綴られているところが、大将の人柄。ご自分では自分のことを謙遜してコメディタッチに書かれているが、かなり冷静で思慮深い人物であることは明白である。
 私は、以前の職場で本当に悩んでいた時に何度も読み返していた。業務でお荷物、人間関係で孤立、という状況が続いていた。本書を、働く人間たちの群像劇だととらえて読んでいると、色んな人の気持ちが分かってくる。そして、自分がどうすべきなのかも考えれる。(結果的にその職場は辞めてしまったけど)
 辛かったあの時、大将のような人が傍にいてくれたら、と微かに思ったりするのだ


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