御本拝読「うしろむき夕食店」冬森灯

さっぱり爽やか

 昨今、「おいしい小説」系統の小説はかなり賑わってきています。コージーミステリー、ヒーリング系、時代物etc……。やはり、女性の書き手さんが多いイメージ。そんなおいしい小説たちの中でも、最近読んだ一冊が爽やかで良かったので。
 ちょっとしたミステリーを含んではいますが、人は殺されませんし、大きな裏切りや哀しみに遭う物語ではありません。どこにでもいそうな社会人たちが、仕事や人生の岐路で立ち止まったり悩んだりして、ある「夕食店」でその料理や「乾杯!」でホッと一息つく、群像劇
 一話一話が丁寧に書かれるのでそれだけでも十分に成立しているのですが、全ての話はちゃんと繋がっていて、「あの時のあの人は、ここでこう繋がってくるのか!」と嬉しい驚きも多々あります。ミスリードや伏線も意図的に含まれているのでしょうが、騙された!という気にはならない。軽やかに優しく物語が進むので、一気に読めてしまいました。
 私が本書のどこが好きかというと、「この一冊できれいに完結している」というのも大きいです。おいしい小説って、「これ、シリーズ化したいんだろうな」と分かるようなキャラ設定や構成のものも増えてきているのですが、本書は潔いほどに「一冊で完成させる」という意欲が見えます
 文章自体は、とても穏やかで慈しみに溢れた雰囲気。でも、だらだらと思わせぶりなことがなく、実にのど越し爽やか。 

食への愛の視線

 著者の冬森灯(ふゆもりとも)さんは、2020年デビューの新人さん。詳しいプロフィールは公表されておられないようですが、おそらくはお仕事も家事もされてきた主婦経験の長い方ではないかと。
 なぜなら、本書「うしろむき夕食店」は、そういう方でないと描けないような描写が多かったから。小粋な祖母と快活な孫の二人で切り盛りする小さな隠れ家的なレストラン(店主曰く「夕食店」)が舞台なだけあってやはり料理の描写は多いのですが、「色んなものを食べ歩いてきたグルメ通」な人が描く料理の書き方とはちょっと違う。冬森さんの料理の描写は、「自分自身が色んな料理を丁寧に何度も作ってきた」人の書き方。
 実際に作っている人から見た、素材や調理過程がはっきり伝わります。どんなに良い素材も、作り手が良くなければ美味しさは充分に発揮できません。登場人物たちは、作る人も、食べる人も、食べ物にあたたかい目と心で向かいます。
 本書では、人と仕事、人と人、人と将来、人と過去など、人が様々なものと必死に戦っています。大概うまくいかなくて一度目を逸らし、夕食店で食べ物と見つめ合うことで勇気やエネルギーや発見をもらいます。
 出てくる料理は、もちろん、家庭でさらっと作れるものばかりではありません。だけど、お品書き(目次)を見ても分かる通り、誰もが家庭かファミリーレストランでも、昔どこかでは食べたことのあるものばかり。何が違うかというと、少しの気遣いや心配りだったり、店主がひとつずつ作るからこそできる工夫やひと手間。その描き方が、自分の試練へ立ち向かう人へのヒントや後押しになっています。
 食への慈しみ深い視線は、そのまま、悩み苦しむ登場人物たちへの慈愛の視線とも言えます

不運と不幸の差

 本書の主人公(?)は、絶対的な不運体質。就職先はことごとく潰れる、ちょっと出かければ森で遭難しかける、しまいにはイノシシに……と、普通ならめげてしまいそうな不運のオンパレード。それでも、粋筋の華であった祖母の血を受け継いでいるのか、根底で芯が強くてさっぱりした気性の持ち主です。
 その祖母も、料理で何でも解決してくれるスーパーマンとして描かれるわけではなく、若い日に誤解から過ちを犯したり、やはり年相応に体の老いもあり、人間らしく描かれています。自分で判断したことは言え、不可抗力の不運と呼べる過去があります。
 本書の登場人物たちの悩みも、実は「ちょっとした不運なタイミング」が積み重なっているもの。本人の咎ではなくても、人はひょんなことで厄介ごとを背負うことになります
 しかし、「不運」であったことは、「不幸」ではない。突如降りかかった不運を、自力で跳ね返したり、ひっくり返したり、糧にして違う方向へ大きく伸びたりするのは、本人の力。不運を不運のまま受け入れていつまでも悲観してじくじくと腐っていくのも、また本人次第
 本書の登場人物たちが、小さな不運を乗り越えて幸せをつかんでいく様子は、ヒーローや魔法使いよりもたくましく頼もしく見えます。そして、そのために「夕食店」でひととき羽を休めたりヒントをもらう。それは、人生という長いスパンでも、一日という短いスパンでも、必要な時間だと思うのです。
 どこにでもいる、今日も頑張っている人に向けた賛歌。料理、食べることを通じて、「夕食店」は誰かの羽をあたためます


 

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