御本拝読「空想の海」深緑野分

静かな短編名手


 深緑野分さんの御本は、「オーブランの少女」から好きだ。その頃から、装丁と本の内容、文体、全てがこれ以上ないほどにマッチしていて、まさに「恵まれた作家さん」だなと思っている。描きたいもの、書きたいものに、筆(実際はキーボードやフリック入力であっても)が沿うている。文章が簡単で読みやすい、ということではなく、するりと脳に入りやすくじんわり心に届く文章だ。
 長編も、もちろんとても優れている人だ。「戦場のコックたち」のあのボリュームも長さを感じさせないほど。が、個人的には、やはり中・短編での深緑さんの輝きが眩しくて大好きだ。本書には掌編と呼べるほどの短いものや、漠然としたファンタジーのようなものも収録されているが、どれもその世界が完結している。短いボリュームで書きたいことをまとめるのは、だらだらと長く書き連ねるよりも難しい。それを、軽やかにやってしまう。
 軽やか、とはいえ、内容がライト・気軽というわけではない。戦争や内乱、SF的要素も交えながら、シリアスで救いのない小説もある。ハッピーエンドや謎解き犯人捜しが目的ではなく、ある人物や出来事のほんの一瞬を描写し、その前後に読者が思いを馳せる、という余韻や後味の残る小説ばかりだ。
 全て読み終えて、改めて作品の発表年や媒体を見ると、かなりばらつきがある。他の長編の番外編・前日譚にあたるものもあるし、初収録の時にはテーマ別のアンソロジーの一編だったものもある。しかし、全てが深緑さんの色であり、音であり、においであり、手触りなのだ。
 時代や流行に合わせて文体や主張が変わる作家もいる。それはそれで素晴らしいことだ。が、深緑さんは、デビューの時も、デビューから10年経った今も、10年後も、きっと同じ色であり、音であり、においであり、手触りなのだと思う。そこに、静かだが逞しい「根」を感じる。私は、その「根」が好きなのだと思う。

深緑さんの視点


 さて、短編集だからこそ、注目して読んでいた点がある。それは、「それぞれの話の語り手が誰であるか」だ。
 長編だと章や場面によって語り手が切り替わることは珍しくないし、むしろそれが演出として効果的だったりする。が、中・短編だとそれは難しい。その物語を語っている、その場面を見ている者の語り口が物語のベースである以上、それがどういう立場の者でどう感じているのかは否応もなく明らかになる。
 深緑さんは、ある事件や出来事の真っ只中の当人ではなく、傍観者・関係者の視点で語ることが多い。冷静で、中立で、淡々としている。それは、主人公と語り手が一致している時もそうで、語り口がどこか「遠い昔のことを思い出しているかのような」ものであったり、話の最中に自分の中の矛盾や感情に気付いていく。語り口に感情がこもっていない、ということではなく、映画を撮っているカメラのような働きをしているように思う。
 本書中も、容赦なく、人が傷つき、疑い、死に、逃げ惑い、絶望する。これも深緑さんの作品の特徴かと思うのだが、まず主人公や語り手だから助かる・善い人だから救われる、ということはない。戦機の爆撃が兵隊と民間人を区別しないよう、不自然なことなくみなに等しく死が訪れる。
 同様に、全ての疑問や謎が最後にすべて明らかにもされない。不明なことは不明なまま、分からないことは分からないまま、である。表現されたいこと、汲んでほしいことは、そこではないからだ。読み進めるうちに「あれ?これはひょっとして……」と、読み手それぞれが自分の中に秘めておく。この視点の置き方だからこそ、読み手が空想する余地が生まれる。
 

正確で、愛溢れる


 深緑さんの描く「女性同士」は、独特だ。バリバリのライバルでも、肩組んでがははと笑う友情でもない。姉妹だったりクラスメイトだったりする彼女たちの関係は、表面的には静かで穏やかで、なのに奥底になにか得体のしれない温度を持った生き物が息をしているようだ。嫉妬や羨望、恋愛感情や依存、という単語で簡単にひとくくりにできない、まさに複雑な生き物のような感情が、淡々と綴られる。
 本書には、少年たちも登場する。本書では少年たちは年上の老人や教師とささやかに交流するのだが、その関係はもっと単純というか、あっさりと触れ合うに留まる。もちろん、情緒的な温かさは感じるが、女性同士の時のような底知れぬ生き物めいた関係ではない。登場人物の男女の違いというよりは、女性が女性と何らかの関係を結ぶ際に生じる独特の「空気」を描くのが抜群に上手いのだ。それは、深緑さんが観察対象として、ヒトをかなりよく見ているからだ。
 その目は、時に冷酷なほど正確で、時に残酷なほどに正直だ。単なるホラーや反戦小説よりももっと心臓にひたりと刃を添わせるような冷たさで、物語を綴る。
 が、その目が慈愛に満ちていることもまた事実だ。特に、少年少女に向けられる目はその存在を誰よりも優しく包んでいるのだと感じる。無邪気さや元気さも含んで、一筋縄でいかない複雑な環境に置かれた子供たちを描写する深緑さんは、とても楽しそうだ。少年少女のうちにしかない逞しさを、その目はきちんととらえている。

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