御本拝読「不安なモンロー、捨てられないウォーホル」クラウディア・カルプ

 大学時代、法学部に在籍していて、卒論のテーマは「プライバシーに関する権利の成立と今後」だった。もう十五年以上前の話だから当時と今では状況も法制度も変わっているが、あの時から今まで変わっていない私の感覚がある。「有名人の私生活はほっといたれよ」である。いや、卒論の軸は実は個人情報保護法とか自己に関する情報のコントロールについてだったのだが。
 パパラッチ的な意味でもそうだし、ネットであれこれ憶測や嘘を書くのもだし、犯罪を犯して正式に立件・起訴されたならともかく、有名だというだけで個人の私生活を徒に覗くのは胸糞が悪い。だから、基本的に、「有名人○○のひみつ!」的な本も記事も読まない
 本書も、最初は、面白おかしく故人のことを病気に仕立て上げてからかっているのかと思っていた。タイトルや本の紹介文からして。加えて、昨今の「心の病」「個人の性格的特性」ブームにも乗っかったのかと冷ややかに見ていた。
 が、読んでみると、序文からしてちょっと私の予想とは違っていた。書き手の優しさと冷静さがしっとりと手に馴染むようで、あくまでも推測の病名(実際に精神科医の診察を受けて正式に診断されたわけではないので)だが、とても丁寧に個人個人が分析されている。
 おそらくは、そもそもの情報源が正式な自伝や伝記、実際に残っている資料なのだろう。よくある小説風な感情的な文章でもなく、割と淡々と事実や事件が並べられ、何があってその結果どういう行動があった、故に○○だと思われる、という分析である。故人の秘密を暴いてやるとか、実はこうだった!と得意満面になることもなく、ただ淡々と文章が進む。
 全編を通して感じるのは、故人――本書ではみなセレブや世界的有名人――への深い愛情である。ファンのそれとも、家族や恋人のそれとも、違う。書き手の、故人たちに差し伸べられる「つらかったでしょう、よくがんばりましたね」という慈愛だ。
 生まれついての脳の特性からくる病もあれば、生育過程や青年期までの出来事によって個人の精神を蝕む病もある。総称して「心の病」だが、それがあったから大成したりしているということも事実だ。ここがおそらく「体の病」との違いであり、直接生命を脅かしたり身体的な苦痛を与えるものでないだけに、当人も周りもその病への理解がなければ対処のしようがない。結果的に大成した事実や起こしたスキャンダルにだけフォーカスが集中し、病が置き去りにされていったのだろう。
 彼ら彼女らが現代に生きていたら、どうだったろうか。きちんと専門医の診察と治療を受け、快癒したのだろうか。それよりも、発症してしまう前に対処ができたのかもしれない。本書を読んで私が一番考えてしまうのはそこだったりするのだが、本書の作者は敢えてそこを深堀りはしない。ただ、故人たちの抱えたであろう苦しみや痛みを、そっと書き綴り、寄り添うのみだ。
 本来、現代でもいわゆる「心の病」「発達や精神の状態」についても、こういう態度であるべきなのかもしれない。病と個人を冷静に見つめ、分析し、必要なことや注意すべきことを淡々と実行していく
 本書に登場する人物たちは、心の病を味方にして大成した人、心の病を克服して同じ病を持つ人を救おうと奮闘した人、心の病に翻弄され生涯を終えた人に分かれる。そのどれが良いとか悪いとか、そういうことでは決してない。誰もが必死に生きた、心の病と共存したり決別したりしながらも生きていた、という事実が、本書が最も伝えたかったことなのではないだろうか。



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