御本拝読「美女の正体」下村一喜

客観的な女性美

 写真家・下村一喜さんの、女性の美に関しての一冊。下村さんの名前でピンとこなくても、作品の名前を見たら「ああ!」とほぼ全員が分かる人。写真というジャンルでの、現代の歌麿。写真家でありゲイである下村さんが考える女性の美とは何か。その豊富な経験から、客観的に且つ徹底的に語られている。
 ゲイである、ということは、性欲の対象として女性を見ることがないということ。つまり、純粋に「女性」という肉体的なガワ(私のこの語彙力の貧弱さよ……)の美しさを見ることができる。
 個人的な恨みも含んで書かせてもらうと、ヘテロで性欲の強い男性の言う「美女」「かわいい子」とは、要するに「すぐにヤラせてくれそう」「性的な具合がよさそう」「こいつとヤッたと他の男に自慢できそう」「俺の言うこときいてくれそう」という、およそ美とは関係ない視点での話であることが多い。肉欲や支配欲に基づいた「美女」の話など、私には興味がない。
 そして、写真家という仕事でフランスの「マダム・フィガロ」からスタートして、「あらゆる美女を撮る」人生。おそらく、誰よりも数多くの美女と、ファインダー越しに対話をされている。
 そんな下村さんは、「女性の美とは、円環のグラデーション」と最初に定義づけられる。くっきりとエリアやヒエラルキーがあるわけではなく、自分次第でどういう美にもなれる。異形な美も、最高の美も、中の上下も、どれも女性の中にある美なのだ。
 単純な若さや肌や顔立ちの美しさだけではない、内面の知性や性格の陰影。実は、外側の美を磨くよりも内面や性格を磨く方が断然難しくて時間がかかる。外側の美にすら頓着しないで「私そのままでいいんだ」にあぐらをかいている女性にはギクリとくる内容になっている。

言葉の柔らかさ

 まず、下村さんの文章はとても読みやすい。何度も推敲した、という文章や言葉ではなく、いつも考えていることが既にかなり論理的な文章で綴られていてそれがそのまま自然に出てきた感じ。キツい物言いや厳しい叱咤もなく、それでも主張がきちんと伝わる。
 それは、下村さんご自身のお人柄の柔らかさや考え方の柔軟さ、加えて人間的な懐の深さというか大きさによる。
 ご自身の失敗や葛藤、今に至るまでの考え方の変遷。普通はあまり語りたくないことまで、あっけらかんと語ってくださっている不快なことも悔しいことも、冷静に受け止めて分析し、自身の成長の糧とするその生き方が、既に「美女」の生き方だ。
 ご本人が自覚されているかは分からないが、自然にヒトや物事の良い面や美点をたくさんキャッチしておられる人である。だからこそ、「美女」や「美」の方も彼に心を開き、寄り添う
 言葉や文章の優しさや柔らかさは、すなわち、本人の「美」そのもの。本書で語られる「美」は、この一冊が体現していると言える。

美女への一歩目

 生まれついた顔かたちやスタイル、美容整形。それももちろん、「美」である。しかし、生来の美に恵まれた女性は確率的にとても少ないし、それは老いれば廃れていく。美容整形もリスクやコスト、アフターケアの面を考えれば確実で永久的なものではない。本書の「美女」は、そういう不安定・不確実なものを備えている人のことではない
 むしろ、年を重ねることで本人に蓄積される豊かな知識や経験。こつこつと毎日少しずつ整えることができる、生活や習慣。お金も特別な技術も必要ないけれど、本人の心がけ次第で大きく変わるものをちゃんと心身に蓄えて磨いた人を、「美女」という
 下村さんの接してきた美女たちは、軒並み女優さんやモデルさんという「美」を商売にするプロフェッショナルたち。その人たち基準の「美」など、一般人の我々には関係ないor手が届かないわとは思わないでほしい。
 本書で救われるのは、生来の美や肉体を強引に整える財力に恵まれた一部の人ではない。むしろ、毎日、仕事に家事にと奮闘する、普通の生活をする一般人の我々なのだ。
 高級な美容化粧品や整形手術がなくても、映画や芸術から何かを感じ取ったり、日々の出来事から自分自身で考察することは誰にでもできる。年齢を重ねて、何もしなくてもつやつやの肌や張りのある肉体を失っても、その人の精神に「美」を宿らせることは充分に可能だ。それどころか、時間をかけて丁寧に磨かれた数値にあらわすことのできない「美」は、年齢とともに輝きを増す
 外見で勝負できないから内面に逃げたのではない。誰よりも何よりも、自分に対して胸を張れるような「美女」になるために、本書は優しく背中を押してくれる


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