本が好き。

私は本が好きだ。
それは確実にこんな環境で育ったからにほかならない。

私の家にはそこかしこに本が溢れていた。
父が無類の読書好きで、家には1000冊以上は本があると思う。
2階の廊下に壁に埋め込むような形で本棚が2つある。さらに寝室の奥のたった2畳しかない父の部屋には上から下までびっしり何段にも渡って本が積まれている。年々その数は増えていき、最近では足の踏み場もないほどだ。大きめの地震があるたびに本が崩れてそれを元に戻すのに苦労しているから、早めに何とかした方がいい。
こんなに本があってもジャンルとしては非常に偏っていて、父が好きな(そして私も大好きな)歴史の本、文豪の作品、外国の作品、食をテーマにした本、レトロな写真集などなど。
おそらく大半が歴史に関する本で、たまに私も物色させていただいて面白そうな本を借りていく。大抵父はその蔵書をBOOK・OFFで買ってくる。最近はクーポンを使うことを覚えて、欲しい本を10円で買ってきたりする。たまに既に持っている本を間違えて買ってきたりするため、何年も前から目録を作ろうと言っているのだが、どれほど時間と場所を使うか分からないため行動に移せていない。

そんな父の元に生まれた私は、幼い頃から父に連れられBOOK・OFFに行っていた。本屋ではなくBOOK・OFFなのが父らしい。そこで1冊か2冊本を買ってもらうのが私の楽しみだった。その後の人生に大きな影響を与える「漫画」との出会いもここだった。
さらに母がよく図書館に連れて行ってくれたため、絵本を読む機会も多かった。毎回10冊ほど絵本や本を借りていた記憶がある。
そんな風に私の「本好き」は育まれていった。

小学生の時、衝撃的な出会いをする。
例のごとく父に薦められて、『ハリーポッターシリーズ』に手を取ったのだ。
少し前にも読もうとしたことがあったが、なぜかハリーがホグワーツに入学するあたりで読むのをやめてしまった。なんて愚かなのだろう。
2回目だったが、とりあえず最初から読み始める。
まんまとその世界にのめり込んでしまった。
あっという間に賢者の石を読んでしまい、秘密の部屋、アズカバンの囚人と、どんどん読んでしまった。家にまだアズカバンの囚人までしかなかったため、父がまたBOOK・OFFで続きを買ってきてくれた。
朝が非常に弱い小学生だったのだが、ハリーポッターが読みたいがために早起きをするほどだった。もちろん学校にも持っていき、休み時間はずっとハリーポッターを読んでいた。その頃、あまりクラスが好きではなかったため、現実を離れて世界に入り込める場所があったのはとてもありがたいことだったのかもしれない。
そんな私を見て、父は死の秘宝まで全巻を買い与えてくれた。さらに『幻の動物とその生息地』とか『クィディッチ今昔』とか『吟遊詩人ビードルの物語』とかの関連作品、映画のフォトブック、他社が出版しているハリーポッター関連本や辞典など、ハリーポッターに関連するものを見つけるたびに買ってきてくれた。
ハリーポッターの一番くじが発売された際、私はB賞のローブが欲しかったのに、何度引いてもマルフォイの杖が当たってしまい、落ち込んでいた。そんな私を見兼ねて、わざわざくじ運の強い同僚に一番くじを引いてもらってローブを持って帰ってきてくれたこともある。
今でもハリーポッターは大好きで、USJに行けば半日以上はハリーポッターエリアにいたし、メイキングオブハリーポッターにももちろん行った。卒業旅行でイギリスに行こうと計画をしている。

話がそれまくったが、とにかく私は本が好きだ。読むのももちろん好きだが、もはや「本」という存在そのものが好きまである。
電子書籍は漫画以外ではあまり読まない。どうしても活字になると、電子だと読みづらいと感じてしまう。漫画も紙で読む方が好きだ。
紙の本という存在がそこにあるだけで私はワクワクしてしまうのだ。
読みたい本がたくさんある。就活が終わったら本をたくさん読もうと思っている。まだ知らない世界がたくさんあることは心の底からワクワクすることだ。
本好きに「なぜ本が好きなのか」と聞くのは野暮な気もしている。そんなの、
「好きだから好き」
に決まっているじゃないか。好きなものは好きなんだから理由も何もあったものじゃない。とにかく本が好き。本がこれからもあって欲しい。いつでも誰でもどこでも本が手に取れる環境があって欲しい。
私がこう思うのはきっと、本があるのが当たり前の環境に育ったからなのだろう。
そうでない人はもちろんそうは思わない。でも、本に関わりのない人でも本から学ぶこと、感動すること、人生の指針になること、必ずあるはずだ。その余地を残しておくことは大切なことではないだろうか。
電子書籍のメリット、紙の本のデメリット、どちらもわかっている。
でも、本という存在を人生の余地として残しておくためには電子ではなく紙でなければならないと思う。
藤原道長が書いた『御堂関白記』が1000年の時を超え、現代に残っているように、紙であればこの先も残されていくのだ。


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