「多様性」???

久しぶりに小説が読みたくなって、本屋を回った。ミステリーや恋愛小説と言うより、価値観とか考え方とか、そういうものを扱ったものが読みたかった。就活で今まで自分が21年生きてきた「価値観」を考えさせられているからかもしれない。本屋を3軒ほど回って、絶対どこの本屋にも置いてあったはずだけど、やっと手に取ったのは

朝井リョウ作『正欲』

だった。
昨年出版され、映画化もされている。
タイトルは知っていたが、特別読みたい、観たいと思ったわけではなかった。
ただ、映画のポスターとコラボした表紙に

「読む前の自分には戻れない」

と書かれていたのが妙に気になって、裏表紙の

「多様性を尊重する時代にとって、ひどく不都合なものだった」

という文言が最終的な決め手になった。
本が好きです、と言っている割に、
最近本を読んでいない
の「最近」が年単位になりつつある。
小説は昨年『歌われなかった海賊へ』を買った以来だった。


同じ時間軸の中で、語り手が変わっていき、物語が進んでいく。
最初の誰かの独白のような文章。次にとある事件の記事。
と思ったら、2019年5月1日-令和までのカウントダウンとともに、それまでの流れと全く関係なさそうな人物の話が始まる。
最初は何が何だかよく分からないまま読んでいたが、そのうち物語が最初の独白と記事に収束されていく。
「ああ、そうなってしまうのか」
と。
読み終わった今、なんと言葉にしていいか分からないが、確実に言えることがある。

「読む前の自分には戻れない」


多様性。
最近よく聞く言葉。
年々、日に日に、その言葉は大きな意味を持っていく。
多様性を尊重するのは大事だ。誰にだって自分らしく生きる権利がある。それは誰にも侵すことのできないもので、誰もが生まれながらに持っているものだ。
いわゆる「マジョリティ」ではない「マイノリティ」にもどんどん目が向けられている。
マイノリティである誰かが声をあげれば、また別のマイノリティの誰かが声をあげる。
自分の知らなかったマイノリティがどんどん増えていく。
「こういう人もいるのか」
「こんな扱いを受けてきたのか」
自分から積極的に知っていかなくても、今の時代情報は勝手に流れてくる。
差別だ。酷い。なんでそんなことするんだろう。
マイノリティはずっと声をあげられずにいたけど、やっと声をあげられる社会にまでなったんだ。大変だったんだな。社会は変わっていくんだな。
そんなふうに思っていた。

思えば私たち-Z世代と呼ばれるような世代は、大人になっていく過程で、社会の大きな変化を体感してきたと思う。
例えば、私が小学生の頃はまだ道端にタバコの吸殻が捨てられているのをよく見た。
中学生の頃、同性同士がじゃれ合っていたら
「ホモだ」「レズだ」
とからかわれていた。
セクハラ、パワハラのようか今までみんなが何となく嫌だと思っていたものに名前が付き出した。
テレビのコンプライアンスが変わった。
男の子らしく、女の子らしく、が変わっていった。
徐々に、徐々に変わっていって、今や「多様性」だ。男性、女性という生物学的な区別さえ多様性の前には意味を持たなくなってしまう時がある。
そうやってマイノリティの人にもスポットが当たるようになった。
自分としては、差別するわけでも特別視する訳でもなく「そういう人もいるんだ」と知っていく感覚だった。
だが『正欲』を読んで、自分の今まで生きてきた価値観が崩れてしまうような気がした。
どれだけマイノリティが声をあげ、どれだけ社会に知られていっても、そもそも声をあげられない人たちがいる。それでも社会に溶け込んで何とか生活している人がいる。
自分の知らないことは知っていけばいい、知ることが最初の一歩だと思っていたが、そもそも知ることのない世界がある。知られようともしていない世界がある。
終盤の、大学生二人のぶつかり合いの場面は強烈に印象に残った。
最初は男性側の意見を読んで、自分がもしその立場だったらそう思ってしまうかもしれない、と思った。でも次に女性側の意見を読んで、確かにそうだ、自分だけでなく誰だって大なり小なり悩みを抱えてどうにかこうにか生きている。その人だけが辛いんじゃない、そりゃそうだと思った。

自分はマジョリティだと思っていても、もしかしたらマイノリティになる側面を持っているかもしれない。人間はマジョリティになる方をどんどん選んでいっている。それこそマイノリティ。
考えれば考えるほど分からなくなる。

「多様性とは?」
「正しいとは?」
「マジョリティとは?」
「マイノリティとは?」

答えが出ない。多分そもそも答えはない。
上記の二人はお互い言いたいことを言い合って「話し合う」
という結論になった。いや、そうなったわけではないが、結局持っているものが違う人間同士が分かり合うには「話し合う」しかない。分かり合えなくても分かり合う努力をしないといけない。そのための手段が「話し合う」しかない。
この前までTBSで放送されていたドラマ『不適切にもほどがある!』でも価値観の違い、変化がテーマとされていたが、その一話でも突然始まったミュージカルとともに
「話し合いましょう〜」
と言われていた。今のところ人間が考えられる解決策は「話し合う」しかないのかと少し落ち込むような、不安になるような、そんな気分になってしまうが、「話し合う」ほど大事なこともないと思う。

価値観が多様化しているが、その割に「正しい価値観」とそうでない価値観に分けられているような気もする。本当に多様化しているというなら、正しいも何もないはずなのに、結局自分も周りも「正しい価値観」を追い求めている。
ダメだ。分からない。考えれば考えるほど分からなくなる。分からなくて、どうしたらいいか分からなくなる。
でも『正欲』を読んで良かったと思った。自分の知らない世界がある、理解できない世界がある、それを知っているか知らないかだけでも物事の見方が変わる。可能性を考えられるだけで選択の幅が広がる。
いつ自分がマイノリティ側になってしまうか分からない。気づいていないだけで、現時点で既にマイノリティの側面があるかもしれない。
「知る」ことができたら、次は「話し合い」だ。全てを自分の価値観で決めつけるのではなく、話し合って、「こういうこともあるかもしれない」と可能性に気づけるようになる。
これから「多様性」という言葉がどうなっていくかは分からない。
でも『正欲』のような作品が世に出ただけでも、社会の大きな変化だ。きっと社会は良い方向に向かっているはずだと思いたい。
社会に出たこともないただの大学生が何を偉そうにつらつらと書いているんだ、と思われそうだが、とにかく私はまず「知る」ことを大切にしていきたい。

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