根本的な考え方について。
教師の役割として、子供にある活動をさせて、対話によるフィードバックをしながら育てていく、といったものがある。
その中でも、特に大きな役割としては「学び方を学ばせる」ことが挙げられる。
勉強の仕方を知らない、分からない児童が中学校に上がると、大きな壁に戸惑うことになる。
例えば、
①毎日の、定量の宿題がないこと(今まではあったので、それをやっておけばよかったのだが、どうすればいいのか戸惑う)
②学期に2回の大きなテストがあり、テストをする期間が同じであること。(小学校は被らないように配慮できるが、中学校ではなぜかしない)
③その無茶なテスト期間(ある程度しょうがないのだが)でやったテストで学年の順位がつけられる(そのランキングに参加しないという拒否権はない。できない子にとっては、誰が最下位になるか分かりきった徒競走に無理やり参加させられるようなもの)
④ただ単純に、小学校よりも勉強が難しい(本人の努力だけではどうにもならない場合もある)
では、中学校でそのギャップをうめる努力(学び方・勉強の仕方の指導)を行っているかというと、小学校でやるんじゃないの?誰がやるの?状態になっている。
なので、小学校5年生から毎日定量の宿題をやめ、けテぶれのやり方を学び、学びを自走できる子を育てていく必要があると考える。
学びを自走できる(自己調整できる)とは、
①自分の課題を見つけることができる(課題設定・課題発見能力)
②課題解決に向けて行動することができる(分析力、コミュニケーション能力、調べる力)
③誰かに何かを言われてからやっていない
の、3つの条件がある。
例えば、1年生の自分の課題とは、ひらがなを書ける、ひらがなを丁寧に書ける、ひらがなを大きく書いたり小さく書いたりできる、ひらがなを使って単語を書くことができる、文章を、カタカナを、算数を・・・となる。
自分がまだ到達していない課題がそれぞれの子にあって、それを見える化(可視化)してあげる。(達成シートなど表になっていると良い)
このように、どの学年であってもその学年の課題はあり、それを解決するためにはどうしたら良いかを考えていくことが必要なのだが、課題がわかっていても行動に移さない子が中にはいる。
そこで、②の行動することが必要になってくる。
まずはしっかりと自己分析し、できない原因を探っていく。
自分の課題と向き合わせていく。
それは、練習時間の少なさだったり、勉強の方法が間違っていたりすることもある。
場合によって、算数のようにミスの原因や分からない要因が分からない物も出てくる。
そうすると、次は何に、誰に頼るのかが重要になってくる。(ここで諦める、やめる、自分と向き合わなくなる子もいる)
親や兄弟、友達や先生、などに頼ったり、塾に通ったり、通信教材に手を出したり、と様々だ。
そこで必要になってくるのは、分からないことを誰かに聞くという方法だが、コミュニケーションをとることが必要になってくるため、親や兄弟との関係が悪かったり、友達が少なかったり、先生に苦手意識を持っていたりする児童はどうしたら良いのか分からなくなってしまう。
なので、普段から対話を大切にし、話しやすい関係性をある程度築くことが重要となる。(教師が努力する)
また、児童同士の対話の機会やその児童の良さを伝える機会を増やしていき、分からないことを聞ける関係を築けるようにすることが重要だ。
調べる方法も重要で、Googleで調べたり、辞書を引いたり、参考書で学び直したりと、自分の中で解決方法が確立してくると、あとはどこまでも学び続けることができるし、自走できるようになってくる。(結果が伴わなくても、けテぶれによって分析からまた自分と向き合って解決に向かえるので)
立ち返ると、教師は仕事をしているようで、していない。(できない場合も含む)
社会全体にとって、とても大切なことを教えて、力をつけさせて、卒業させていくこの仕事は、本当にやりがいがあると思う。
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