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乳がん罹患から27年経った方と話した

前回の記事「母がもうすぐ亡くなるかもしれない」を書いてから、1ヶ月が開いてしまった。

母は奇跡的に今もまだ生きているが、前回の記事を書いた翌日、6月1日に交わした言葉が最後になってしまった。
意識はほとんどなく、いつ面会に行っても深く眠っている。
看護師さんの話によると、たまに目を開けることはあるらしく、話しかけると頷く程度の反応はできるらしい。

1ヶ月以上も口から物を食べていないので、すっかり骨と皮だけのガイコツのように痩せ細ってしまった。
その姿を見ているだけでも痛々しく、まだ生きていてくれて嬉しい気持ちと、早く楽にしてあげたい気持ちが複雑に絡み合う。

ほんの2ヶ月前、脚の手術のために入院したのがなぜこんなことになったのか、未だに解せない部分はある。
母の主治医はとても冷たく、侮辱的な言葉をいくつも投げつけられた。
ソーシャルワーカーを通してしっかりとクレームを入れておいた。
近く、慢性期の病院に転院予定だ。

今回の本題だが、題名にある通り乳がん罹患から27年経った方と話す機会があった。
というのも、飛行機の距離に住む叔母(母の姉)が、母の病状を聞いて文字通り飛んで来てくれたのだが、叔母が私と話している時に昔乳がんに罹患したという知人に電話を掛けてくれたのだ。
姪である私が乳がんになったので話をしてやってほしい、と。

その方は27年前、48歳の時に乳がんに罹患したらしい。
手術と抗がん剤をやり、その後再発することもなく現在75歳。
今も元気いっぱいで、あちこちお出掛けして老後をエンジョイしているらしい。

その方も私同様、それまで激しく働いていたとのこと。
病気になったおかげで生活を改めることができた、病気になったのは一度ストップして自分を見つめ直せということだったんだろう、と言っていた。
「あなたも一度ゆっくり休みなさいってことだったのよ」と言ってくれた。

そして「今はもっと医療が進んでるんだし、あなたも絶対に大丈夫よ」と励ましてくれた。

私の母親は脳梗塞のために50代で身体障害者になり、早々と要介護の生活をしてきた。
夫の父親は60代で亡くなっている。
そう考えると、75歳で元気なのは恵まれていることだ。
ましてや40代で乳がんに罹患した上でのことだ。
私もあやかって同じように元気な老後を迎えたい。
その方が「絶対に大丈夫」って言ってくれたから、絶対に大丈夫なんだと思う。

そして、その方以外にも2人のがん経験者と話した。
2人とも自分が通っているスポーツセンターのレッスン仲間だ。

↑こちらの記事内にも書いたように、スポーツセンターのレッスンに通っている生徒は60〜70代が大半を占める。

TS-1を服用していた頃、吐き気がひどかったため「持病の影響で体調が悪く、今日のレッスンは最低限でやりたい」と先生と周りに伝えた日があった。
そして先日、60歳くらいの生徒の方に「体調はもう大丈夫なの?」と聞かれたので、乳がんであることを伝えた。
すると「私も10年前に胃がんで手術したの。胃の3分の1を取ったんだけど、今もこんなに元気だからあなたも大丈夫よ」と言ってくれた。

そして昨日、初めてウィッグを外してレッスンに行った。
季節的にウィッグをしたまま運動すると蒸れて仕方ないし、まだベリーショートとまではいかないけどそれに近いくらいまで伸びたので、もういいかなと思って。

そしたら70歳くらいの生徒の方に「誰だか分からなかった!」とビックリされたので、実はウィッグだったと伝えた。
病気の治療でツルツルになってたのでウィッグ被ってました、と。

すると「抗がん剤か何か?」と聞かれ、「はい」と答えると「私も20年くらい前に抗がん剤やってたの」と言われた。
その当時は吐き気止めもなかったので、ゲーゲー吐き続けて、医者に「もう死んでもいいから治療やめたいです」と伝えてやめたそうだ。

抗がん剤をやめたのに20年経ってもお元気で、運動もバリバリやってるし、これまた励みになった。
そして私の両腕をつかみ、涙を浮かべて「大変だったのね」と言ってくれてジーンとした。

こんな感じで、この1ヶ月の間に10年、20年、27年という3人もの長期サバイバーさんとお話することができ、とても励みになった。
自分もそちらに仲間入りできるよう、引き続き食事・運動・睡眠・ストレスに気をつけてがんばっていきたい。

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