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闘病記(2019年9月~12月頃⑥)

とどめの副作用と医療用麻薬
抗がん剤の最後の3クール目の投与が終了した頃、放射線治療もあと数回を残すところとなりました。もう少しで口内炎との副作用の戦いも終わりか、と思ったつかの間、なんだか首のあたりがヒリヒリしてきます。気のせいかとも思いつつ、夜寝ている時に痛痒いというか、妙な感覚に無意識で首のあたりの患部をひっかいてしまいました。次の瞬間「ギャー」と叫びたくなるのを抑え、飛び起きて鏡を見ると鎖骨あたりの皮がべローンと剥がれています。こりゃ痛い。めちゃくちゃ痛い。ものすごいヒリヒリ感が止まず、結局その日は朝まで眠れませんでした。

翌朝、先生が回診に来た時に状況を説明すると、「放射線の副作用が出てきましたね」と。口内炎との闘いだけでもきつかったのに、更なる副作用がここで出てくるのか、と愕然としました。とりあえず、看護師さんが薬を塗り、皮膚を保護するパッチを貼ってくれ、襟に当たらないようにしました。それでも、ひたすらヒリヒリします。少し動けば口内も痛いのに、首にも強烈な痛みが走る。

【以下の写真は閲覧注意です】

首のまわりの皮膚が火傷状になる

ここで、一つ封印していた、我慢していた奥の手を行使する時が来た、と決心します。そうです、医療用麻薬の使用です。医療用「麻薬」と聞いていたので、先生や看護師さんからはかなり前から勧められていたものの、変な風にラリってしまうのではないか、癖がついてしまう(笑)のではないか、とありもしない心配をしていて、なかなか決心がつきませんでした。薬なんてやらなくても、普段からちょっとおかしい人ですからね。

しかしながら、これら口内炎と火傷状皮膚炎の痛みのダブルパンチは強烈で耐え難く、痛みを取り除きたい一心で医療用麻薬の使用を決めました。

使用前には薬剤師さんが、永続的な効果のものと、短期的で強めの効果のものの使い分けを教えてくださり、一応麻薬であることや、痛みを取り除きながらも副作用(悪心などの)もあるとの説明を受け、再度の意向確認をし、いざ使用となりました。

言われた通りに使ってみると、いつも眠くなるという副作用があったものの、痛みの8割くらいを取り除くことができました。取り除かれたことによるものなのか、薬の効果によるものかのかわかりませんでしたが、適度な高揚感(笑)もあり、気分良く快適に過ごすことができるようになりました。

今まで、何を躊躇していたんだろう。取り除くべき痛みは我慢せずに取り除くべきで、その方が入院生活の全ても前向きなものに変わる。なんだか痛みに耐える修行みたいになっていた日々が劇的に変わりました。

これ以降、食事もいろんなものにチャレンジする気持ちが出てきて、体重減は止まるどころか2〜3キロは戻すまでに。あとは感染症にならないように、うがい手洗いを徹底しつつ、口内炎と放射線による火傷を治せば、退院が見えてくるところまで来るという状態までもってくることができました。

この頃になると、痛みと気持ちのバランスが取れ、何事にも積極的にこなせるようになってきます。

友人からもらったルービックキューブの攻略法にチャレンジ

お見舞いにもらったルービックキューブですが、気持ち悪さと痛みが続く日々に全くやる気がありませんでしたが、医療用麻薬の効果もあり積極的に行動するようになって、病院内の中庭を歩いたり、院内のコンビニやカフェで買い物したりする際に、いつも持ち歩くようになり、最初は攻略本を参照しながらでしたが、最後の方にはそらで6面を完成できるようになっていました。

そんな入院生活を自分なりに前向きに過ごせるようになったころ、退院のお知らせが突然やってきます。徐々に口内炎と火傷状の皮膚炎が治まってきたあたりで、医療用麻薬を止め、痛み止めなしでも通常の生活ができるようになってきました。そんなある日、先生が「3日後くらいに検査して、このまま血液の数値が良ければ退院にしましょう」「治療効果に関しては、退院後1~2ヵ月後あたりにPET-CTで検査しましょう」と言われました。

治療の終盤になり、自分なりにいい入院生活を作ることができていたので、少し拍子抜けした感じにもなりましたが、なにより退院の知らせは嬉しかったです。「退院」と聞いた時に家族と一緒にクリスマスを過ごせることを一番に思い浮かびました。しかしながら、治療の効果はすぐにはわからないことはなんだかモヤモヤするなぁ、と思ったのが正直なところでした。

それでも、副作用に苦しみながらも治療を完遂できたことと、無事に退院が決まったことは本当に嬉しく、退院後の検査のことは一旦忘れることにしました。まずは、これで家族のもとに戻ることができます。

退院そして妻との日帰り旅行
2019年12月10日、めでたく退院となりました。この日は父と妻が車で癌研まで迎えに来てくれました。治療の効果があったのかどうかはこの時点ではわかりませんでしたが、とにかく「あの厳しい治療を完遂した」、という充実感で一杯の気持ちで自宅まで帰りました。病院からは、東京ベイエリアの景色や天気の良い日には富士山なども見えたりしていましたが、それらよりも車窓から見える2ヵ月ぶりの東京湾やただ普通の街並みの景色がとても輝いて見えました。

退院した日の夕方、息子と娘とも再会し、「約束通り、クリスマスに間に合っただろう」と二人に自慢することができました。二人の反応は「なんだ帰って来たのか」程度ではありましたが、父として子供との約束を守ることができて本当に良かったと思いました。

退院一週間後に初めての検診がありました。CTとMRIを取り、その内容を見ての診察を血液腫瘍科と放射線科と双方で行いましたが、まずは「順調にみえます」という言葉が返ってきました。両科の先生の見解はともに現段階では治療の効果が出ているように見えるとのことですが、やはり、もう少し経ってからのPET-CTで最終的な治療効果を確定しましょうとのことでした。

主治医の先生には、日帰りくらいなら少し遠出しても大丈夫か、と聞いてみました。なにより妻と二人きりでデートをしてみたかったからです。先生は体力的に無理をしないという条件がつけられましたが、行くなとは言われませんでした。なので、好意的な解釈で「OK」と判断することにしました。

クリスマス前のある日、妻と日帰りで大阪に出かけました。なぜ、大阪かといえばなんば花月に吉本の漫才や新喜劇を見に行きたかったからで、治療が成功し、さらにダメ押しで「笑い」で病気というか残ったがん細胞を殲滅させようとの企みでした。もちろん、妻と一緒に大笑いすることができました。


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