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昔の推し活、今の推し活


推し活の話になったので「推しを育ててエネルギーをもらう育て系ですね」と返したら「いやいや、みんな出来上がってから舞台に出てくるので育てはしないのです」と返答された。どうやら母性系の話ではなかったらしい。いままでアイドル推しが投じるお金は、ひよこを見つけて愛情を持って育てる物語に参加する料金だと思ってた。それは、ひと昔前の話、いまや違うらしい。対価を払って、神のようなパワーやエネルギーをもらう等価交換のようだ。なるほど、みんながオオタニさんを好きなのもその神のようなパワーへの憧憬だった。  

母性をくすぐって育てさせたり、父性をくすぐって応援させたりするような手口は使われていないらしい。

いいもん見させてもらったことにおカネを投じるようである。それが、健全なエンタメの姿だろう。

自分の見識の古さがちょっぴり哀しくなった。

追加情報で、若者が(親の場合もあるだろう)スターシステムにエントリーするのは自己責任。先行投資する代わりに、あと払いでレッスン料を支払う事情を聞いた。自分自身を文字通り賭けてるのは悪いことではないが、行き過ぎるとちょっと怖い感じもする。話の食い違いによるトラブルの匂いが立ち込めてる。夢を諦めた若者が、借金に追われる絵柄には違和感を感じる。

努力をした若者が、スポットライトの当たる舞台まで辿り着けなくても、次の選択肢にしっかり向かえる世の中であって欲しい。

そんなところに、ゆめさまの記事を読んだ。

定年退職後にJAZZを始めて、セッション会場に出かけて楽しんでるという素晴らしい記事。

昨日はセッションに参加するため車で15分程度の会場に出かけた。

3万人程度の田舎町にもこのような場所があることがありがたい。

古民家を改修した趣きのある広いフロアに、グランドピアノとドラムが備品として置いてある。

私はドラムだが、昔のようにいちいち車にドラム一式を載せて運ばなくてもいい。

それが最近のセッション会場のいいところだ。

このセッション会場の参加費はコーヒー飲み放題で1,600円だ。

日本の地方都市に、そんなセッション会場があることに驚いた。JAZZ好きな発起人や街の人の顔が浮かぶ。おそらく、街に仕掛け人がいて運営してるのだろう。顔の見えるネットワークが街を動かしてる姿が浮かぶ。人の力のなせる技。

そして、思わず膝をうったのが次の事実。

例えば学生のころに吹奏楽部などで楽器を経験した人であってもジャズは敷居が高い。
管楽器で音を出せてもアドリブができないからだ。

即興で演奏しようと思うと、例え短音楽器であってもコード理論やスケール理論などを覚えなければならないからだ。

そしてそれには途方もない時間がかかると思っている人も少なくない。
即興演奏を自然に自由に演奏できることは、楽器を演奏している人なら誰もが憧れているはずだ。

だが今なら想像以上に早く即興演奏を習得できると思われる。

YouTubeなどの教材が使えるからだ。
私も独学でドラムの奏法を学んでいるが、YouTubeには優秀な講師が山のように溢れている。

中にはアメリカのバークリー音楽大学で学んだトレーニング方法をそのまま伝えている人もいるほどだ。

そのような講座を無料で閲覧することができるのがありがたい。
1本7000円以上もするVHSの教則ビデオを買って勉強していたころから思えば、夢のような時代だ。

確かに無料提供の技術を使わない手はない。身近に目を向ければ、料理だってレシピアプリのとおりにつくれば再現性は高く、満足したものが食卓に並ぶ世の中。

変化に目を背けてはならん、と自分に言い聞かせる。

人と機械との融合が街を再生させるのは良い話だ。

舞台まで辿り着かなかった多くの若者たちが、歳を重ねて音楽を楽しめている令和6年の日本。今の若者たちにも、一番の夢を諦めても次の世界があることを覚えていてほしい。





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