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YOKOHAMAのダミエル

普通に生きてると思っていても、誰しもいろいろな悩み事やストレスから逃れることはできない。天使ダミエルは、ベルリンの街をはるか上空から時には地下鉄に舞い降りて人々の生活を眺めていたが、そこにはモノクロームの世界で苦悩する人たちが沢山いた。

ここのところ、どこかでダミエルと出会うのではないか?と軽い妄想を持ちながら過ごしている。いつの間にか自分もモノクロームの世界の住人になったようだ。

そのきっかけは、仕事のことだろう。自分のコンディションが悪かったのか、深く人の物語に入り込みすぎたのかバランスを失った感じがする。

こう書いていても、交感神経が騒ぎ出してくるのを感じる。はっきりとした具体の原因があるわけでもないので始末に悪い。原因を探らないと落ち着かない。

パニック発作の前兆のようにも感じた。

パニック発作とは、極めて強い苦痛、不安、恐怖などが突然現れて短時間で治まる発作のことで、身体症状や精神症状を伴います。パニック症(パニック障害とも呼ばれます)では、パニック発作が繰り返し生じることで、将来の発作に対して過度の不安を覚えるようになったり、発作を引き起こす可能性のある状況を回避するための行動変化がみられたりします。

厚労省HPより

他の病気も疑ってみたので循環器内科を訪ねた。エコーやらレントゲンやら、心電図やら血管年齢まで、もちろん血液検査も。

ドクターから「どこも悪くありません」と太鼓判を押された。血管年齢に至っては20歳代。有難いことだ。トム・ハンクス演じたオットーのように神様が簡単にそばに来いとは言ってくれないらしい。

つまりは、メンタルの不調ということに落ち着く。気楽に生きてるつもりであっても、いつの間にか心には見えない汚れが溜まっていくものなのだろう。

自己チェックを始める。
・睡眠時間
・食欲
・生活習慣の変化
・活動意欲の増減

あくせくする生活はやめたので8割位の燃焼率で生きようと思って暮らしてるけれど、発作前兆が始まってから6割程度に落ちている。活動意欲が減少すれば、日々の生活が乱れていく。睡眠時間も一定せず、食欲もまちまちになり、家の中も乱れる。悪いスパイラルが訪れる。

自分でコントロールして燃焼率6割で生きるのは悪くないが、その意識なしに6割に落ちると後戻りするのが難しくなるように思う。ここが踏ん張りどころ。

状況を打開するには何が効果があるのだろう。

できる限り負の刺激を浴びないようにすること。心を平穏に保つこと。そのための具体策を考えないと…。

この記事、書きながら詰まった。やはり直接的な原因は、理解できてる。そのことに思いを至らせると心がざわついて思考が止まる。ヤバイ!

自分の心が危険なものに近づいたときの防御反応だと理解した。

心を落ち着かせるために必要なこと。デトックスになることに思考をシフトする。

昨日、効果があったものが、慈悲の瞑想フルバージョン。

このサイトには、慈悲の瞑想全文と音声が収められている。音声は、2019年5月19日、宮崎市・天空カフェ ジールで行われたスマナサーラ長老「慈悲の瞑想フルバージョン」指導の動画。聴き取りにくいが、耳を澄ませたら気持ちが落ち着いてきた。今日もこれから聴いてみよう。

と考えを進めていたが…。

ここは、駅のプラットフォーム。車輌のエンジン音や、ひっきりなしのアナウンスで喧しい。人々は、ここのところの蒸し暑さにやられてみな無言の行。

ふと、左を見たら、髪の薄くなった小太りの中年男性が何やら声を上げていた。左手に数珠を巻いて奇妙なポースで祈りを捧げている。車輌にお祓いをかけているような仕草。悟られないように注目していたら、次の駅で降りていった。降りたらすぐに一度立ち止まって天を仰いで太陽を見上げる仕草をしていた。車輌に取り憑いた魂を浄化していたのか?

ベルリンにもYOKOHAMAにも結構な確率で堕天使は舞い降りるようだと勝手な妄想をした。

向き合うことを避けていたこと

薄々気づいてはいたが、ざわつきの原因は、自由への渇望が憑依したことにあるようだ。

囲いの中に閉じ込められた彼、彼女らの物語を聞き目にするたびに、自分の身も囚われているように感じる。そして、その囲いに閉じ込めている親たちも、その昔閉じ込められていた過去があったり、社会からの疎外感を持っていたりする現実がある。

繰り返され連鎖する物語を聴くたびに心に澱が溜まっていく。その現実に対して自分ができることなどはほとんどない。伴走がひとつの形だとは理解しているが、負のエネルギーの痛烈さに疲弊してしまっているようだ。そもそも自分の心は、殊の外わがままであって、気ままに遊ばせていたいのが願望なのだから。

自由を選んだからといって平穏な世界が待っているとは限らないことは、ダミエルに教えられなくても承知しているけれど…。

どす黒い大波ではないけれど、寄せては返す波が少しずつ大きくなっていることを感じる。

溺れそうになりながら飲んだ水を吐き出して、溺れていることにも気づいていないけれど毎日のページをめくる人たちの発する確かな生命のエネルギーを信じよう。

言葉を話さない人、言葉の少ない人たちに支えられる日々…。

同じように毎日を生ききるか。


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