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プレゼントのセンス

私は人にプレゼントを考えるのが苦手である。
これを言うと母などは
「相手のことを考えてないから」
と言うのだが、まあ、母のことは人生においてあまり考えていないのは確かである。
例えば、
「花が好き」1つ取っても、切り花がいいのか、鉢植えがいいのか、樹木なのか?色々ある中の微妙なチョイスを間違えてしまう。
だって、わかりやすい例で言うと、年配の方からいただく小物とかって、なんだかアレな物が多いではないか?
ポーチ1つにしても不思議なレースがあしらってあったり謎のアップリケがついていたり、私はそれらを頂く度に自分のチョイスもこれくらいアレだと思われてるんだろうな、と思う。
1度など私があげたことを忘れ
た人から痛烈に批判されたことがある。
「豚の形のメジャーなんてもらっちゃってさ!豚のメジャーだよ?w」
 あの時は本気で絶縁を考えたが、当時生きていた主人が
「気に入らないものをあげた方が悪い」
と言った意見を採用することにした。そう、実はその人の妹が
「かわいい豚のイラストとかの小物が好き」
と聞いたのを彼女本人が
「豚のグッズが好き」と謝って記憶した私が悪いのである。いらないなら私がほしいので返してほしい。
それからしばらくは彼女には会わず、誕プレをくれていたので郵送で無地のタオルなどあっても困らないものを無言で送りつけて過ごした。
やっぱりムカついていた。私が悪いけどもう2度と贈り物をしたくないし会いたくなかった。
面と向かって陰口言われたのが許せなかった。貴重な体験はあまりに刺激的すぎた。
でも絶縁すると周りの人を巻き込んでヘイトスピーチされるのが怖くて今も会っている。
いつもいつも口下手な私は自分の悪いとこはカットした理不尽な悪評を流されていつの間にか孤立するので、その回数をできるだけ減らしたいのだ。
しかし、今現在やっぱり私のプレゼントを陰でバカにする人とつき合う意味はある?と、たまに思う。
人生っていつ終わるかわからない。時間は有限だ。好きな人たちとの時間を大切にしたい。
若い頃は
「少し嫌なところがあるからと切り捨てていたら誰も周りにいなくなってしまう」
と思い
「私にも悪いところはあるから」
「いつか向こうが変わるかも」
と、つきあいを保留にしてきた人たちがいるけど、変わらない人がほとんどだった。それはそうだ、私自身本当に嫌なこと、やめてほしいことをはっきり伝えてこなかったし。
変わらなかった、なんて偉そうに言える立場ではない、でも、無理して関係を続けなくてもいいかもしれない。
私には決定的な別れを感じる出来事があった。
昔から、辛い話や、私が出会う前のどうしようもない過去の愚痴を会うたびに話されてとても苦痛だった。
「友達ならきいてあげるべき」
と言われるから聞いたが、私は友達とは楽しく話したい。対等な関係でいたい。
なのに、
「私の方があなたより苦労してる」
「私はそこいらの普通の家の子と違うのに」
と、暗に私を責めたり当て擦った嫌みを上から言われるのは
「何か違うな」
と思った。そして決定的なことを言われた。
「私には泣ける場所はなかった」
そう、あんなに嫌な思いを我慢して一方的な愚痴をきいても、私はなんの突っ張りにもならない存在だったのだ。
「だから私は自分が不甲斐ない」
という話ではない。
「だったらもうそんな愚痴きいても意味なくね?」
である。冗談じゃないよ。私よりどれだけ苦労してるか知ったことじゃないけど、その苦労は意味のあるものだったの?私をバカにして嫌みを言ってマウントとって解消できるものなの?誰にも頼らず生きていくなら好きにしたらいいけど、私は他人の助けを借りるつもりだから、それを見下したり文句があるならどうぞ一人で生きていく同志をみつけてそういう方とおつきあいください。
どうせ嫌な思いをしてこちらが話を聞いても、数年後には
「誰も助けになってくれなかった」
と言われるなら、私はもう嫌な話はききたくない。私を必要としてくれる人たちとの時間を大事にしたい。
もう他人の言葉に傷ついて帰ってきても、
「なんだ、たいしたことないよ」
って思わせてくれるあの人もいない。
私たちもいつかいなくなるんだ。
時間は有限。

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