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【小説】「聖職者の憂鬱」⑥

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 4月の頭、未だ「ゴミ山先生」の残骸を片付けながら途方に暮れていたある日の午後、床の全体がやっと顔を出したため、やっと座れるスペースができたスチール製の事務机の椅子に腰掛け、最後の掃除の段取りを考えていた時に、準備室の扉がノックされた。
 ひょっこり現れたのは、英語の教師で「浜本」とか言う奴だ。中肉中背、キューピーみたいな天然パーマ。職員会議ではやたらに甲高く軽薄な声で、発言の合間合間に「こんな事は世間じゃ常識ですけどね、知ってます?」と嫌みたらしい事を言いながら御説をよく並べ立てる男だ。
 俺はこの教師を「天然イヤピー」と勝手にあだ名をつけてやった。そのイヤピーがこの俺に何の用件だ。
 「どう?少しは慣れてきたかい。それにしても、随分と片付いてきたねぇ。前の先生の時は足の踏み場もなくて、誰もこの部屋に近づかなかったんだよ」
 何が言いたいんだ、何しにきた。
 「まぁ、ぼちぼちやっとです。これが済まないと授業どころではないし、後2日以内には何とかしようと思ってますが」
「まぁーさぁー、そんなに気張ったり無理する事ないよ。もっと気楽にやんないと直ぐにギブアップするよ。どうせここの生徒は、割と真面目なのもいるけど結構荒れてるからさ、そこで真剣にやり過ぎてもただ疲れるだけだから」
 何だ、新入りの俺のことを気遣って様子を見にきてくれたのか「天然イヤピー」くん。もしや君はいい奴なのか。今度来たら、お茶でも淹れてやろうか。
 「あのさー、そんな肩肘張らずにさー、テキトーにね。この部屋も綺麗に片付いたら、ちょっと可愛いルーズソックスで短いスカートの女子高生ここに連れ込んでさー、あんなことやこんなこと。まぁ好きに楽しんでのんびりやれば?けへへへー、じゃーね」
 「………」
 下品な笑いを浮かべて、出ていったイヤピー。
 冗談だとしても何て事言ってるんだ、あの男は。頭の中身どうなってるんだ、あの「常識人」は…。一瞬でもいい奴かなと思ってしまった自分に腹が立ってきた。そりゃぁ俺だって若々しくて可愛らしい女性は好きだが、女子高生って何だ。自分とこの生徒って…。ああ頭が痛くなってきた。
 そしてその2日後の夕方、廊下の窓からぼんやりカラスを見ていたら廊下の向こうから見回りだろうか、教頭の「村木」と言う数学教師が歩いて来た。教務部長とか言う役回りで、次期の教頭と言われている先生らしい。歩くとき常に左手をスラックスのポケットに入れて歩いている。かっこいいと思っているのだろうか、俺はこいつを「片ポッケ」と呼んでいる。
 「おや先生、どうかしましたか」
 「いえ、何と言うかまぁその、何やら自分の考えている事と実際の現場とのコントラストの強さに、若干ですが戸惑うことがありまして」
 「それは君、あれだな。君には教師をする資格がないんだな。年度内は困るが、早めにもっと自分に合った仕事を探した方がいいですよ」
 何故、今のやりとりだけで俺に教師になる資格が無いと断言できる?俺の何を知ってるんだ、おい片ポッケ。
 もしかしたらこの学校、生徒なんかよりも聖職者たる大人たちの方が大いに問題があるのではないか?
 さらに途方に暮れた俺は窓から顔を出して、さっきのカラスを探していると、職員玄関から校長が退勤していくところが見えた。この校長、俺をいともあっさり採用した張本人だ。面接もそこそこに、
 「じゃ、今年は担任はなしと言うことで良いですかな。来年からは1年生の担任で、若い力を本校のためにお願いしますよ。ガハハハハハハ、大丈夫!問題なし、はははは」
 随分とざっくりとした性分なようだ、何でも丼勘定で都合が悪くなると首をすくめて便所や宿直室に雲隠れするらしい」
採用依頼、俺は校長に「どんぶりガメ」と言う名前をつけてやった。
 どんぶりガメが誰かと話をしていたのか、いつもの通りガハガハ大声で笑いながら退勤していくのを眺めて、俺はもっと深いため息をついた。
 ん?なにやら近代日本純文学の大家みたいな感じみなってきてしまった。いやいやそうじゃないんだ。
 俺は、憂鬱なんだ…

             10

 美術室の扉をガタガタ揺らしながら、俺は話し続けた。
 「静かな部屋の中で頭上の窓だけが、大きく揺れながら音を立てている光景…みたことあるか?さすがに驚いた俺は布団を顔まで上げて、事が終わるまで様子をみてたんだよ」
 「しばらくすると、少しずつ窓枠の揺れの激しさが落ち着いてきて…ガタガタガタガタ、カタカタカタ、カタカタ…カタ…カタ…カ…、治まったんだ」
 「ふーー…」
 武本の大きなため息が聞こえた。
 「しかし、窓の揺れが治まったその直後に!」
 「ひっ!」
 俺はまた、美術室の扉に手をかけ大きく揺すり始めながら言った。
 「今度は、俺の右側に10枚近く並んでいる『押し入れ』の引き戸が、手前から俺の足元の方に向かって、一枚ずつ順番にガタガタバタバタ、ガタガタガタバタバタバタ、ガタガタガタガタバタバタッ、ガタガタガタガタバタバタ、ガタガタバタッと大きく揺れながら、まるで引き戸が大きなウエーブをしているように動き出したんだ」
 「ぬぉっお!」
 美術室の中で俺の話を聞いていない奴は一人もいなくなった。にしても、武本お前うるさいぞ。
 「窓がガタガタ動きだしたのと同じように、暫くすると押し入れの引き戸も少しずつ動きが静かになり、治まった」
 「だが今度は足元にある納戸の戸が、今までと同じようにバタバタガタガタいい始めたんだよ。信じられないかも知れないが、これ本当のことだからな」
 「いやだ…」
 「マジかよ」
 「実はこれだけじゃないんだ。」
 「まだ何かあるのかよぉー」
 「ああ、納戸の戸が静かになった。さすがの俺もこれで終わったのかと思ったさ。でもな、次の瞬間俺の寝ている部屋の出た所の踊り場っていうのか?そこから、下の階に向かって『ギシッギシッギシッ』て『何か』が階段を降りていったり、またこっちに上がってきたりする足音がハッキリ聞こえてきたんだよ」
 「い、いやぁぁーーー!」
 「うわあ」
 なんだ、随分と盛り上がってきちゃったじゃないか。俺もなんだかリアクションがあると楽しくなってきてしまった。でも、本当のことだからしょうがない。
 「ギシッ!ギシッ!ギシッ!ギシッ!」
 「ひぃぃぃーーーー」
 自分自身を抱きしめるかのように、両腕を体に巻き付けて、武本は体を捻りながら悲鳴を上げている。今のお前の姿の方がよっぽど怖いぞ。
 「さすがの俺も、その辺りからは完全に布団の中に顔までスッポリ入って、事が治るまで待ってたんだけどな。その後、今まで起こったこと、頭上の窓、右手の押し入れ、足元の納戸の揺れが、ぐるぐると部屋を取り囲むようにずっとお大きな音を立てて鳴り始めたんだよ。その中で階段の足音。堪ったもんじゃなかったよ。でもな、ここからさらにびっくりする事が起こったんだよ」
 「勘弁してくれよぉぉ」
 「いいか、いくら布団の中に篭っていたって『不思議な。不穏な気配』ってのはものすごく感じているわけじゃないか。特に、階段を上り下りしている『何か』ってのはやっぱりものすごく俺だって怖かったんだよ」
 「え…」
 「布団の中で、俺、分かっちゃったんだよ。『そいつ』がさ、部屋の中に入ってきたのが」
 「マジかーーーーー!」
 「うぉーーーっ」
 「いやぁー」
 「ちょっと待てよ、まだ説明してないだろうが」
 「だって、怖いもん。これはさすがに怖すぎぃ」
 山川みちるが涙目で言う。
 武本は涙目どころか、鼻水が出てるぞ。ポン助め。
 「踊り場にいた『奴』がさ、部屋に入ってきて、歩き回るんだよ。聞こえたんだよ、畳を足が擦る『すすっ』って音が。その音が、部屋の入り口から時計と反対回りに、俺の周りをゆっくり歩いているんだよ。その音が聞こえるんだよ」
 教室内の緊張が最高潮に達しているのが、手にとるようにわかる。痛快だった。こんな気分を、まともな授業で味わいたかったもんだ。
 「すすっ、すすっ、って足音が俺の枕元で止まって、しばらく音がしなくなったんだよ。俺はまた、分かったよ。『そいつ』が、俺の枕元に立ってじっと、…じっと真上からこの俺を覗き込んでいるのがな」
 「うううおぉぉぉぉーーーー怖えぇーー!」
 「はぁぁぁぁぁーーー」
 武本の恐怖もピークに達したようだ。教室の窓ガラスが割れんばかりの大声で叫び、慄いている。
 「それから、この深夜の超常現象は朝まで続いた」
 「そのうち俺は、この騒ぎは死んだじいちゃんが、お盆に墓参りに来た孫を歓迎して、喜んでるんじゃないかと思おうとしたよ。だけどさすがに騒ぎすぎだろ…とな」
 「嘘だろ…」
 「いや、嘘じゃない。4時間くらいは続いたことになるな。下のじいちゃんの仏壇に、朝の6時過ぎに毎日、ばあちゃんが線香上げてお経を唱えてるんだよ。布団の中で俺はその、ばあちゃんの声を聞いた」
 「そして、ああもう朝か。ばあちゃんのお経が聞こえるなぁ…と思ったら、ふっと寝ちゃったんだ」
 「目覚めたのは10時を少し回ったくらいかな。いつまでも起きてこないから、ばあちゃんも従姉妹たちも、ずいぶん疲れてるんだねぇとか呑気なことを言ってたらしい」
 「あ、あれ?ちょっと待てよ、最初に2階に従姉妹の部屋とか言ってなかったっけ?従姉妹たちはよ?どーしたんだよ」
 中村琥太郎が、疑い深げに言った。
 「そうなんだよ、お前よく気がついたな」
 「起きて階下に行ったらばあちゃんも従姉妹もいたもんだから、俺言ったんだよ『昨日の夜中、すごい音して大変だったよな』って…。そうしたら、下で寝ていたばあちゃんどころか、2階の隣の部屋で寝ていた従姉妹たちですら『え、何言ってんの?そんな物音も何もなかったでしょ』って言うんだよ。俺はことの次第を順を追ってちゃんと話したのに、誰も気がづいていないし、信じてももらえなかったんだよ。でも、あれは本当にあったことなんだよ。それ以外でも、その頃から俺の周りで色々不思議なことが起こるようになっていったんだけどな」
 気がついたら終了のチャイムが鳴った。前半の時間の終了時のチャイムが鳴っていたことを誰も気がつかず、結局2時間分この怪談話で終わってしまった。やれやれ。
 まぁ今後ともよろしくって事で今日の授業は終わった。たまたま今日はまともな授業ではなく、皆にとって丁度時間潰しになるストーリーテラーを演じてしまっているだけなのは分かっている。次回の授業でも、奴らが好意的に、積極的に授業を受ける気などない事は百も承知だ。
 「いやぁーー、マジで怖かったよぉ。すげー初めてこんな怖い話を聞いたよ先生」
 どうした武本。ついさっきまでお前呼ばわりしていたくせに、いきなり先生か。こんな短時間で心を開くお前は、顔に似合わず素直なやつだ、きっと。
 「どんな先生来るかなって心配だったけど、先生なかな悪くないよ。結構楽しそう。あ、そうそう私『美術部員』だからよろしくねっ」
 山川みちるがそう言って、くるりとスカートを揺らして教室を最後に出て行った。
 なんだか疲れた。これじゃ教師じゃなくてまるで講談師じゃないか。俺はどちらかと言うと、静かな集中した雰囲気の中で真面目な授業をやりたいんだ。なんせ俺は真面目なんだから。
 最初からこんな事でよかったんだろうか。不安だ。
 むー、また憂鬱になってきた。

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