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【小説】「聖職者の憂鬱」⑦

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 「おお、あんた新入りかい」
 職員室の俺の席は、出入り口に一番近い机群の窓側の端だ。出勤初日、定時に到着しぼんやりと席に着いていると、横から声をかけられ、ドスンと俺の隣に座った体つきのがっしりした年配の先生が声をかけてきた。
 「あー、はい、おはようございます。よろしくお願いします」
 「あんた教科はなんだい」
 「美術です」
 「あーー、馬場先生の後任か」
 馬場と言うのかゴミ山先生。知らなかったぞ。まぁどうせ今後も会うこともないだろうが。
 「あんた出身は東京かい。あまり訛りがないな」
 「いえ、出身はこっちです。去年までしばらく東京に住んでいたので、そのせいかも知れません」
 「そーかい、いやいや。ところであんた、『水』買わないかい?」
 「んー、え?」
 「いや丁度な、道南で良い水の出るところがあるんだわ。それでこりゃ儲かりそうだってんで、ほら、こうやって売ってんだ。どうだい」
 「美味しい道南の水」とプリントされた2リットルのペットボトルを両手に持ち、俺の方に差し出しながら、細い目とデカい鼻をひくひくさせながら聞いてきた。
 職場で、しかも学校という神聖な場所で「副業」か?カピバラみたいな顔して、よくもまあ堂々とそんな事できるもんだ。俺はこの男にそのまんま「カピバラ」とあだ名をつけた。
 「えーーと、いや、今喉乾いてないんで、大丈夫です。遠慮します」
 「そうかい。いつでも言えよ。本当に美味いから」
美味いから、じゃないんだ。そうじゃないんだカピバラ。職員室で商売するなよ。
 「ほらほら山辺先生、新人さんにまた新しい商売なんかするもんじゃないよ。どうせまた失敗するんだし」
 俺の真向かいの席に座っていた、中年の女性教師が間に入った。
 「いや、そんな事ないって藤村先生。今度は絶対に上手くいくんだわ。だって美味いもん」
 カピバラは、その藤村先生という養護教諭に真剣に言っていた。藤村先生というのは俺より2年ほど前からこの学校にいる保健室の先生で、何やら複雑な経歴の持ち主らしい。カピバラは体育の教師で、専門は「プロレス」という事だ。学校の先生で専門がプロレスってどういう事かと藤村先生にそれとなく聞いた時、最近はしてないらしいが昔、北海道でプロレスの興行が行われた時、関係者としてよく興行に参加していたらしい。レスラーとしてではないようだ。あくまでもスタッフとして…。俺はそれから、「カピバラ」と「ミル・マスカラス」を合わせて「カピカラス」と早々に改名してやった。隣の席…。俺はカピカラスとタッグを組むことがあるのだろうか。
 そう俺は、この出勤初日の職員室から既に、憂鬱がマックスだったのかも知れない。

             12

 教師の仕事は授業や担任業務だけではない。クラブ顧問や「校務分掌業務」というやつがある。教務部とか総務部とかよく聞く生徒指導部なんていうのがそれだ。
 俺は「校内保全保健部」という分掌に配属されていた。
年度の最初に各分掌に配属された数名づつの先生方で会議が行われる。職員会議や新年度に向けての準備などについてだそうだ。噂には聞いていたが、学校の先生というのは会議というやつが大好きのようだ。4月1日新年度スタートから、1週間毎日、午前午後に数時間職員会議をしている。その合間に分掌の会議だ。
 俺のいる校内保全保健部というのは、春先が最も忙しいらしい。
分掌の部長、つまりここのリーダーは英語の今田という白髪頭のベテランの先生で、いつもニコニコ優しそうだが、目だけはいつ も笑っていない。なんか怖い。
 年度はじめの仕事は、各教室の人数に合わせた「机」「椅子」の移動と管理。掃除用具や黒板消しなど学校備品の数の確認と調整。新年度、各学年及びクラスの下駄箱の割り振りなど。
 この学校は1クラス約40人、各学年10クラスある。全校生徒1200人以上の大きな学校だ。その1200人分の下駄箱の割り振りを任されてしまった。縦6列横5列の下駄箱が、生徒玄関のあちこちにずらりと並んでいる。それを各学年ごとに塊を作り直し、さらにクラス人数分で配置図を作成し、各担任に配布するという仕事だった。
 自慢じゃないが、俺はチマチマ数を数えて計算して、割り振りをしたりするのが大の苦手だ。だから美大なんかに行って、毎日お絵描きしてたんだ。算数は、これを算数と言うのか?、大嫌いだ。頭の中が痒い妙な感覚に苛まれ、3回計算と配置を間違えた末に、何とか割り振りができた。4日もかかってしまった。さすがに時間かかりすぎだと呆れられてしまった。もう2度とやりたくない。お願いだから、来年は別の仕事になりますように。
 結局合間に教室の机や椅子の数合わせも手伝い、ヘトヘトになったがその3日後からは4月半ばに行われる、全校生徒の健康診断の準備が始まった。俺は歯科検診のために歯医者さんが使う「簡易ミラー」を各クラスの人数分に振り分けてまとめる係にされた。また、数えるのかミラー1200本…。下駄箱よりは楽だったが、こんな仕事ばかりなのか聖職者の日常とは。
 知らなかった。
 そういえば、この校務分掌以外にもクラブ顧問の仕事もあるのか。それはどんなことをすれば良いんだろう。授業以外でも美術を教えるのか?自由意志の「制作活動」に俺が教える事なんてあるのだろうか。授業でさえ評価をつけることには抵抗があるが、そこは仕事と割り切っているのに、表現者としてはさらに抵抗があるなぁ。
 しかし、授業以外で美術をやりたい生徒がいるってことは悪くはないのか。何やれば良いんだろう。ゴミ山先生はどんなことしてたんだろう。美術部の生徒たちに聞けばいいか。ちょうど山川みちるが美術部員だと言っていたし。でも、ゴミ山くんと同じ事は絶対に出来んな。
 俺は真面目だが、面倒くさがり屋でもある。
 うーん、ちょっと面倒だ。
 「先生、じゃ次は全校生徒の健康調査書の取りまとめと、クラス出席番号分けして封筒づめですよ」
養護の藤村先生が額に汗を浮かべながら、次々と俺に指示出ししてくる。人使いは荒いが、どうやら真面目な人だ。他の職員室の面々とはちょっと違うようだ。
 それにしても、まだこんなにあったのか。こりゃ本当に面倒臭そうだ。いや、これは絶対に面倒だ。
 この単純作業は今日中に終わりそうもない。明日も続くのか。
 やれやれ、本格的に憂鬱だ。

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