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【小説】「聖職者の憂鬱」③

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 いい加減授業についても触れておかなきゃ何の話だか分からなくなってしまう。この学校は1年生は芸術教科必修。2年生は普通コース、進学コースとある中で、普通コースのクラスのみ芸術選択があり、3年生になると芸術選択はなくなる。さらに言うと芸術教科は選択制で、音楽、書道、美術の三つからどれかひと科目を選択して週1回2時間続きの授業をおこなう。
 4月は年度の初め。まずはどの学年にも、授業初めのガイダンスをおこなう。特に昨年からいる在校生の新2年生に対しては初めましての挨拶も重要だ。
 2年A・B組の編成クラス授業。このふたクラスからさっき言った音楽、書道、そして美術と同じ時間に3教室にそれぞれ移動して、それぞれの科目が進行される。
 さて、この生徒たちは例の「ゴミ山先生」の授業を昨年受けているわけだ。しかし、昨年どのような授業を受けていたのかの資料が無かった。準備室の棚の一角に、大量の彫刻刀が見つかったのと、何やら「鎌倉彫り」が中途半端にされた木製のティッシュボックスケースが数個あった。ちょっと待て「鎌倉彫り」?この学校は美術科目はあるけど「工芸」の科目はカリキュラムに入ってないぞ。やっていいのかゴミ山先生。俺も工芸の免許は持っているけども。
 あとは、ある程度の画用紙がまとまってあった。これは何かに使えそうだ。でも、この先の授業の予定よりもまず、最初のガイダンスが大切だ。それよりも互いの関係性を早く構築することが大切だ。人見知りの俺にはかなりハードルが高い。美術を選択しているくらいだから、結構地味めの生徒が多いのか。とにかく出たとこ勝負でやってみよう。予冷が鳴った。あと5分もすれば本チャイムが鳴って授業が始まる。準備室の扉越しに生徒たちが美術室に入ってきている音や声が聞こえ始めた。落ち着け俺。落ち着くんだ。

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 チャイムと同時に俺は美術室に入って行った。やや緊張しているのか、視線が気になるのか、目を向けられずに教壇に上った。そして、ゆっくりと正面を見渡してみた。
 目の前に繰り広げられている光景に、俺はまた憂鬱になった。
俺が教室に入った瞬間だけ、わずかな沈黙と注目があったが、次の瞬間には教室内が休み時間のような状態になった。いや、それ以上だ。
 机や椅子を寄せて、何やかんやとしゃべくり倒している女子グループ。机の上に座りながらコーラを飲み談笑している男子グループ。窓際で、膝の上にお座りさせて腰に手を回し合っているカップル・・・。やれやれだ。
 俺は少し大きな声で「号令係は号令をお願いします」と言ったが、生徒たちの様子もざわつきも変わらなかった。もう一度、今よりも大きな声で「号令係は、号令をかけてください!」と叫んだ。皆、緩慢な動きで何となく自席につき、実際は本当に号令係なのか分からないが、ぼんやりした気合いのない声で号令がかかった。
 「起立、気をつけ、れー」
 全く気持ちのこもっていない、形だけの挨拶。例のカップルは膝抱っこのままだ。
 ここまでで、授業開始から既に10分以上は経過している。さて、一度全員に点呼を取ってから自己紹介でもするか。その時、俺の背後にある美術室の入り口の扉がゆっくりと開いた。
 入ってきたのは詰襟の学生服を全開に開いて、両手をズボンのポケットに入れたまま、両耳にイヤホンを突っ込んで鼻歌を歌うオールバックの男子生徒だった。かなり筋肉質なのが制服を着ていても分かる。俺を無視して入って来ようとした。
 「ねえ、君ちょっと待ってくれる?」
 「どけや」
 「いやー、どけじゃなくてさ、遅刻?」
 「うるせーな、どけやこら」歩き始めようとする。
 「いや、。だからちょっと待って、ねぇ」俺はその生徒の胸に手の甲を上に差し出すようにして、指を当て止めた。
 「触るなやこらっ」
 「だからまず、待ってと言ってるよね。遅刻でしょ?それに、校内だし授業始まってるし、イヤホンをつけながらはまずいんじゃないかなー」
 「触るなやコォらっ!、誰だお前は」
 「いや、見ての通りこの学校の先生。これから君が受ける美術の先生」
 他の生徒たちはニヤニヤしながら俺たちの様子を見ている。授業が始まらないのと、俺が困り果てる事を期待しているのか楽しそうだ。
 「初日から面倒はごめんなんだよね。とにかくさ、まずはイヤホン外してくれないかなぁ。ここは『俺の』教室で、『俺の』授業なんだよね」無理やり入ろうとするこの生徒を一歩も入れず、「俺の」の語気を強めて言い、時間の経過も関係なく立ちふさがった。2時間続きの授業だ、しかも初日。時間なんぞいくら使ってもいい。
 「何だこの野郎はよぉ、スーツなんぞ着てスカしやがってよ」まだ、鼻息荒く睨みつけてくる。おっかねぇ奴だ。
 「ホントそれなー。背広とか偉そうなんだけど」後ろで誰かが言った。
 「なんせ今日がお互い初めましての授業なんだからさ、みんなの名前も分からないし、こっちの自己紹介もじっくりしてないし、席についてくれないかな」
俺は繰り返した。
 「ウルセェなマジうざい、こいつ」
 「イヤホンと、あと制服のボタンくらい留めてくれるかな」と言って俺はその生徒を入れた。2年A組「武本哲二」という名前だ。イヤホンは外しているが、首からブラブラぶら下げたままだ。
 ところで、皆はスーツを着ていることが気に入らないのか?
 スーツを着ているとスカしてるのか?
 と言うことは……、スーツ着てこなくても良いのか?
 そりゃ絵の具とか扱う実技教科だしな。汚れたら困るもんな。そうか、じゃぁ明日からスーツを着るのはやめよう。そうしよう。
 ほんの少し、憂鬱じゃなくなった気がする。
 いやしかし、これからこんな連中ばかりの、相手をしなけりゃならないのか。うーむ。
 やっぱり憂鬱だ。

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