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親を看取るということ 実母編

今日は少しかたいお話し。
ながくなるかも。
看護師在職中、55歳の時に、実母の胆管癌が発覚した。
母は姉夫婦と同居をしていたが、病院から家には帰らず、一時的だからと嘘をつき、私の家から1キロ程度の看取りのホームに入所した。

私はあまりショック😨はなかった。
こんなことは仕事柄、日常茶飯事。
どこか、他人事だった。
日が経つにつれ、いろんな思いが頭をよぎる。
母と話し残した事はないか、このまま仕事をしていて何ができる?
後悔はないか…。

自問自答した結果介護休暇を申請した。残された日々、母が元気なうちにいろんな話がしたい、だけど、いつまで休むにしても職場への迷惑は最小限にしたい、そう考えた結果、母がどんな形であろうと2ヶ月の休暇とし、12月、1月を休み、毎日ご飯どきを見計らって面会に行った。
人間が歳をとるとはどういうことか、孫たちにも知って欲しかった、そして孫たちとのかけがえのないひとときを作りたかったから、母のひ孫である4歳と6歳を連れて行ったこともしばしば。
無邪気な質問に母は明るく答えていた。
時には母の食事をいただくことも…。
その間、父との出会いや姉や私の出産の事、親戚のおじさんの事や父への思いなど、たくさんたくさん話しが聞けた。
介護休暇が明けても母はポータブルトイレを使用できるレベルで、比較的元気だった。
それが4月になり、体調不良が続くようになった。
医師から、尿道カテーテルの話しがあったが、母はしっかり拒否した。
ありがたいことにその女医さんは母の思いを尊重してくれ、それ以降も私達の考え、母の気持ちを1番に考えてくださり、最期は手塩にかけた1番大切な孫に手を握られ、感謝の言葉を聴きながら長い眠りについた。
しんどくても母は生き切ってくれた。

母が亡くなった時は悲しかったが、私には爽快感や達成感、感謝の気持ち、さすが、私の母、よく頑張った、勇ましかった、いろんな思いが込み上げていた。

時々、"しばらく母に会ってないなー、そろそろ実家に行かなくてはー"なんて思ったりする。
あのひ孫ももう中学生になった。
お母さん、ありがとう。
また会おうねー。

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