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やりたい事の発端を見直してみる。

想いの発端というのは、大切な人が亡くなったこと。
その人が亡くなってからずっと抱えていた想いだったけれど、
その人がまるで悪い事をしたような、
その人の存在が無かったことになるような事だけは我慢ならなくて、
モヤモヤしていた。
だから、
周りへの配慮はもちろん必要だと思うけど、
フリーランスになると決めてから、
もう大人しくしていいるのはやめようと思った。

とはいえ、
今まで人生を諦めてきた人間。
目標のようなものを書いてみたものの、
どういう動きをしたら良いかよく分からなかった。
生活もしないといけないから
完全ボランティアだけする訳にもいかない。

そう思うと、
直結する事というよりは、
もっと視野を広げて
幸せな人生をつくるための写真撮影

メンタルケアに役立つ情報発信
をしようと思った。

私自身、
柴山さんはマイナスが多いからね
と言われる事があり、それが社会の評価なんだと思って生きてきた時代があった。

でも、もっと広い世界に出てみたら、
それは、その会社のその人とその周りの極々一部の人の物差しに過ぎなかったと気づいた。

世間では、
大人しく大人しく波風立てないように真面目に目立たなく、、
そんな風に生きている人をいじめたくなる人間は残念ながら一定数いて、当時の私も自己評価の低さ故、そんな人間を引き寄せてしまっていただけなんだろう。

そういう実態は本当は負の連鎖で、いじめる側の人の心が実は安定していないという証拠でもあると思う。

事の大小はともかく、何かトラブルがあった際は被害に遭う側の人にフォーカスされがちだけれど、
実は加害側のメンタル改善の方にも力を入れないと
いじめからの自殺や、見えないところでコソコソ行われる精神的加害などは無くならないと思う。

恐らく、「自分はケアされる必要なんてない、健全で正常だ」と思っている人間程、実はモヤモヤをごまかして抑え込んで生きていて、弱い(とみなす)ターゲットを見つけて吐き出しているように感じる。
見つけた特定のターゲットにマウントを取ったり笑いものにしたりして普段溜まったモヤモヤを吐き出しスッキリする事で自分を保っている
それは”依存性がある”という事だと思う。

一方で、意味もなくおびえられたらイライラする気持ちも分かるから、
その時は正直に気持ちを伝えられたらいいと思う。
人間関係において、
自己開示できる安心安全な環境
正直な気持ちを言い合える関係
相手に対する尊重や愛の気持ちがある事が大切だと思っている。

同じ会社や組織に居ながらも、お互いにそれが無い関係が世に多く見られるように感じるし、重要視されていないように思う。

私も会社員だった頃は見えていない部分だったけれど、
フリーになって見える世界が増えて、
自分でカウンセリングを学ぶようになってきたら
今までのなんとなく感じてきた違和感が何なのか分かってきたし、
カウンセリングの概念も変わった。

”カウンセリング=精神的に病にかかった人が受けるもの”
だと思っていたけれど、
そうじゃないと思った。
寧ろ、精神的病にかかる前に受けるもので、
もっと日常と関連していて良いと思う。
”カウンセリング”って特別な事のように感じるかも知れないが、
「正しいコミュニケーション」というものも学べるし、
依存・共依存の関係や、無意識で陥ってしまうパターンがある事、その改善方法なども学ぶ事ができる。
普通に生きている中で感じるモヤモヤを吐きだしたり、
自分で解決できるような気付きを得たりすればいいと思う。

私はカメラマンだけれども、
その前に健全さを保てる人間でありたいと思っている。
正直、まだまだマウントを真面目に受け取ってしまい動けなくなる時があるけれど、そんなものはスルスルサラ~リと受け流しサッサと次の行動を起こしたいと思うところだ。
本当は、お互いにどういう価値観なのか違いを受け入れて尊重し合いたいけれど、残念ながら自分を蔑ろに扱う人はこちらが尊重する必要もないと判断する事がある。そして、できるだけ距離を置いて関わらないようにする。

逆に、関わりたいけれど相手がノーサンキューの場合もある(笑)
その場合も無理強いはせず、心地よい距離感を保っていきたい。

ただ、本当に必要な相手とは、一緒にカウンセリングを受けに行くというものもできたらいいなと思う。

基本的には、
表向きの優しさを示す人よりも、
厳しくても愛がある人と時間を共にし
高め合って生きてゆきたいと思う。

最後に、
記事に目を通していただいた貴方が幸せな一日を過ごせますように°˖✧
ありがとうございました(*^^*)



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