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留学しなかった話

物心ついた頃から、外国(主に欧米)に憧れていました。

昔はテレビで洋画がたくさん放送されていて、土曜の夜に「グレムリン」や「コマンドー」などの王道の映画、また「ヘルレイザー」や「エルム街の悪夢」のような、今ではなかなか放送されないホラー映画もよくやっていました。

それらの映画を見て、具体的にどこに憧れたのかは覚えていないけど、「大人になったら絶対、アメリカに住みたい!そのためには、高校からアメリカに留学したい」と小学生の頃は思っていました。

親に頼んで、英会話の教材を買ってもらったり、ラジオ英会話や教育テレビの英会話を学んだりしましたが、いつも三日坊主でした。夢の割に努力ができない子供だったので…

先日、実家を片付けていると、その頃の勉強ノートが数冊出てきて、全部1ページ目で挫折していました。やる気はあるけど努力ができないんです。。言い訳。。

それでも、記憶力は良かったので、中学に入り英語の授業が始まると、それなりに成績は良かったです。でもテスト勉強と会話が結び付かず、「英語ってどうやって話せるようになるんだろう?」と思っていました。

高校に入る頃には、「アメリカに行きたい」という夢は遠いものになっていました。自分がアメリカに行く、という想像ができなかったし、今みたいに情報もないので、どうやってアメリカの高校に入学するのかもわからなかったからです。理想の自分はアメリカで英語をペラペラと話して、学生生活をエンジョイしているんだけど、現実の自分がそれをそれを実現出来るとは思えなかった。

映画だけでなく、海外ドラマもよく見ていたんですけど、(「ビバリーヒルズ高校白書」とか「フルハウス」とか)その中で描写される学生生活とか男女関係とかが、あまりにもパリピというか陽キャすぎて、自分には無理、って思ったんです。その中でも私が一番恐怖だったのが、プロム。いわゆる卒業パーティーです。パートナーを是が非でも誘って、ダンスパーティーに行かなければいけないというではありませんか。相手がいなければ笑い者にされて、ドレスが変だったらケーキをぶつけられて、好意を持った相手に誘われたと思ったらドッキリで、、みたいな恐ろしい催し物があると知り(こんな酷いことはドラマの世界だけかもです)、地味で見た目も可愛くない、私のようなアジア人は、絶対に楽しい生活は無理だと思いました。

そうやって月日は流れたのですが、外国に行きたい気持ちはずっと心にありました。英語の勉強も、やる気を出しては挫折し、を繰り返しながら、細々と続けていました。

30歳ごろに、仕事がすごく大変で、何もかもを投げ出したくなり、辞めます、と上司に伝えたところ、「今辞められては困る」的なことを言われ、一旦は続けることを了承したのですが、数日後やはり無理だ、と思い、「絶対に辞めるにはどうしたらいいだろうか」と考えたときに、ふと、「あ、外国に行きたい。もう大人だからプロムもないし、今が最後のチャンスかも」と閃きました。

大事なことほど誰にも相談しないで決める癖がある私は、変な行動力を発揮しすぐに留学情報を調べ、エージェントを探し、契約して、上司に「外国に行くので辞めます。航空券ももう予約しました」と告げ、無事に退職し、そして念願の語学留学に出発することになりました。

「留学しなかった話」ていうタイトルなのに結局留学すんのかい、ですが、はい、短期ですけど私は語学留学に行きました。

結果、全く楽しくなかったです。私の子供時代に予想していた通りの、ぼっち生活となりました。社会人となり、それなりにコミュニケーション能力も磨いてきたつもりでしたが無理でした。英語も全く上達せず(友達ができなかったので)、学校も行かなくなり、部屋で日本のYoutubeを見たり一人で街をブラブラしていました。英語どころかもはや日本語も話していませんでした。なんか知らんけど現地にいる日本人にすら相手にされませんでした。本当に早く日本に帰りたかった。

でも、楽しくなかったとはいえ、気が済んだのは確かなので行って良かったです。留学して現地に溶け込んで、頑張っている方たちは本当にすごいです。私は、日本で外国映画を見たりして脳内で妄想するだけでいいや、と思います。

おわり

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