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じわじわくる…よ。

タイトルに魅かれて読みました。

味つけはせんでええんです 土井善晴著

私の母は小さい頃から家の食事の支度を任されていたそうだ。ある日母がいつも読んでいた本にチャーハン(今でいう)の作り方が載っていて美味しそうだったので作ってみた。仕事から帰ったお父さん(母の)が
せっかくの米をこんな風にして。と怒られたそうだ。タイトルを見て母のしてくれたその話を思い出した。

子供の頃、私はピーマンが嫌いだった。母はタコさんウインナーとピーマンを炒めてある日の食卓に出してくれた。赤くてかわいいタコさんウインナーと
ピーマンの鮮やかな緑。その一皿の料理に出会ってからピーマンは嫌いな食べ物ではなくなった。

思えば我が家の食卓は私(子供の頃の)が主役の献立ではなく父が主役の献立が並んでいたように思う。それが良かった。子供の頃の私が食べられなくても成長するにつれて食べられるようになるものもあるからだ。嫌いなものを無理に食べなさいと言われたことはなかったし、常に食事は楽しい時間だった。

家での食事ではなく保育園の食事で忘れられない思い出がある。保育園の給食に焼いた豚肉が出された。全然美味しそうじゃなかった。ただの塊にしか見えなかった。なかなか食べられなくて、給食の終わりの時間が迫った時、先生が痺れを切らしたのだろう。その豚肉の塊を細かく裂いて、先生は私の口の中に無理矢理押し込んだ。私の記憶はそこで終わっているのだが、さて?無理矢理口の中に入れられた豚肉を私は食べることができたのだろうか?全然思い出せないが、食べたとは思えない。その後しばらく豚肉が嫌いになったことはなんとなく覚えている。全く不適切にも程がある。今だったら大問題になりそうだが、昔でも問題だとは思う。とはいえ、今ではそんなこともあったなー、ぐらいのことで豚肉は美味しく頂いている。豚バラ万歳。

料理すれば、自足できて、健康な料理が食べられて、感覚所与のエクササイズになるのです。経験すればするほどですから、年がいってもその感覚は発達し続けると思います。本文より

私の母は立派な後期高齢者だが、
30代より40代、40代より50代、50代より60代、
60代より70代、70代より80代…。
母は飽くなき探究心で、作る料理は今も進化し続けている。よりシンプルな方向に。

なにかをしようと思っているうちは気づかないことを、なにもしないことでいくらでも気づくようになるんです。本文より

味噌汁は、ひと椀の有限の世界において自由なのです。つまり有限の無限だということですが、有限であるから私たちに自由があるのです。本文より

色んなことをやり過ぎて、気にし過ぎて、不機嫌になって、楽しくなくなって、何もできなくなって。
何もやりたくなくなったので、開き直って何もしないことにした。そうやってその時期を凌いでいたら
何かに気づくことができた。見えざるたくさんの救いの手のお陰で。

「私」という有限の中に無限の自由がある。
なんて素晴らしいんだろう。

庭でムスカリが咲き始めた。
裏山でホトトギスが鳴き始めた。
お昼に食べたお味噌汁は最高に美味しかった。

人生にも、自分自身にも、きっと
味つけはせんでええんです、ね。

昨日の自分に頼らないことです。本文より
どうか、新しい自分を信じてください。本文より

人生の指南書に出会ってしまった。

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