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ほんまる神保町で、棚主へ18

これはもう、第1回のときからずっと自分でも気になっていたことであるが、「ほんまる神保町で、棚主へ」というタイトルはなんとなく日本語としておかしくはないだろうか。
少なくとも、こんなに使い続けるほどいいタイトルだとは思わない。

これは、最初にnoteを書いたときに仮タイトルとして入れておいたものを変更し忘れ、そのまま続いているだけである。
まあ、「床上五センチ書店」もたいがいあれな名前なので、気にしない。

私はたいがいのことは気にしない。
しかし過去百年で最も優れた棚主と呼ばれている(と自己暗示をかけている)私にも、勝てないものが三つある。
泣く子と元義母と虫歯と税務署である。
四つあった。

古くから「泣く子と地頭には勝てぬ」と言うが、幸いなことに地頭がいたのは鎌倉時代あたりだ。現代にも残っていたら勝てぬものが五つになるところだった。

さて、この四つの中で最強なのは虫歯である。泣く子も元義母も税務署の職員も、虫歯には勝てない。
先日、前歯がもう本当に駄目になった。
いい歳したおじさんが「もう本当に駄目になった」と表現するしかないほど、完膚なきまでに駄目になった。

そもそも、人間の歯というもののシステムがおかしい。人間など長ければ百年以上生きる生き物なのに、歯の生え変わりは人生の序盤も序盤で起きる。
これはあまりにも無計画である。
というか「永久歯」という名前が嘘過ぎる。

と、文句を言ったところで駄目になった前歯はどうしようもない。たいがいのことは気にしない私でも、前歯がないのはさすがに気になる。
評判のいい歯科医を探して通い始めた。

何度か通い、仮歯を装着したのが九月七日(土曜日)のこと。
「外れやすいので気をつけてください」と言われた私は、細心の注意を払っていた。なにせ次の予約は九月末である。それまでなんとか仮歯をもたせなければならない。
本来ならばもっと短いスパンで治療を受けたいのだが、次回の治療では歯を残せるか否か、歯根治療の専門医に診てもらうことになっていた。その歯根治療の専門医というのが常駐ではないため、どうしても期間が空いてしまうのだ。

そして九月九日(月曜日)。
仮歯が外れた。

そんな馬鹿な。
仮歯が外れたとき、私は職場にいた。職場の休憩室でコンビニのおにぎりを食べていた。
ファミマの、スーパー大麦を使った鶏そぼろおにぎり。「おにぎり」というものの概念をぶっ壊すくらいほろほろの、パサついた米をなんとなくパッケージングしたようなおにぎりに、仮歯は負けた。

土曜日に入れた仮歯が、その二日後である月曜日に外れたのだ。ここで慌てて付け直しに歯医者へ行っても、どうせ水曜日あたりにはまた外れてしまうのではないか。

というか平日、仕事終わりに歯医者へ行くのは面倒だ。なにか応急処置をしなければ、と検索してみると、入れ歯安定剤を使って固定する方法が紹介されていた。
もちろん、あくまでも応急処置だ。次の土曜日にでもまた付け直してもらいに行くべきだが、五日間程度ならいける気がする。

というわけで、帰宅時に最寄りのドラッグストアへ寄った。
驚いた。
「新ポリグリップ」という名称のものだけで数種類ある。

新ポリグリップ無添加
新ポリグリップS
新ポリグリップ極細ノズル
新ポリグリップ極細ノズルメントール
新ポリグリップトータルプロテクションEX
新ポリグリップ(安定&快適フィットEX)

わからん。

新ポリグリップ以外にも「タフグリップ」というものもある。
きのこたけのこ戦争のように、「新ポリグリップ派」と「タフグリップ派」があったりするのだろうか。

そもそも「仮歯の接着」というのは目的外利用であるため、どれが最適かなどわからない。
となれば一番スタンダードっぽい「新ポリグリップ無添加」の小さいサイズでいいだろう。

格好つけて「新ポリグリップトータルプロテクションEX」を選んでみようかとも思ったが、レジの店員さんに「素敵!」と思われたところで仕方がない。
というか、入れ歯安定剤を買って「素敵!」となる可能性は低い。

「EX」と書いてあるもので仮歯を固定したら「EX仮歯エクスカリバー」と名付けられるな、などと思ったが、そう名付けて楽しいのは一瞬だけなのでやめておいた。

帰宅し、「新ポリグリップ無添加」を使い、仮歯の接着を試みる。最初はつけ過ぎたためはみ出し、次は逆に足りなくて安定せず──などと繰り返しながらも上達していった。

「すごい、こやまさん、戦いの中で成長している──」と自画自賛した五日間。
現在は歯科にて仮歯の再接着を済ませたので、新ポリグリップの出番は当面ないが、この経験は決して無駄ではない。

一口に「新ポリグリップ」と言ってもいろいろあること。
「新ポリグリップ派」と「タフグリップ派」が争っていること(想像)。
「旧ポリグリップ」がよかった、と言う懐古厨がいること(想像)。

など、学ぶことは多かった。

たかが入れ歯安定剤を初めて使ってみただけでも、あれこれ考え、視野が広がった(気がする)のだ。
棚主になる、ということはその何倍も価値がある。

棚主になってみようか迷っている人は、ぜひ一度やってみてほしい。
私は責任を取らないが、そもそも大した責任の発生するものでもない。
本当に書店を経営しようというならば、かなりの覚悟と資金を要する。駄目になったときには借金まみれになるかもしれない。

だが、棚主ではそうはなるまい。
これはどうもまずい、と思ったなら簡単に撤退できる。実際、早くも撤退した棚もあるようだ。
しかし撤退したところで、「棚主をやったことがある」という経験は残る。
隙を見せればあれこれ──前歯とか──奪われるような世の中だが、経験というものは絶対に奪われない。

人生というのは、清水の舞台から飛び降りて痛い思いをしているときが一番楽しいのだ。
大丈夫。飛び降りた衝撃で前歯が折れたとしても、新ポリグリップがあるから。

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