ありがたいラーメン屋

今住んでいるアパートに引っ越してきた当時、同居人と近所の飲食店の開拓を進めていた。その最中、家から徒歩数分のところに1軒のラーメン屋を見つけた。

Googleマップでの評価は星4であり、好印象なレビューが多い。
店を訪れると、大行列を作るほどではないが、客の入りは多いようだった。
店内は木目調で統一されており、他の普遍的なラーメン屋とは一線を画する雰囲気を醸し出していた。
働いている店員たちもどこか自信に満ち溢れており、ラーメン作りに誇りを持つ風格が店内に漂っている。
きっとこの区内で名の知れたラーメン屋であり、今後何度も通うことになるのだろう。
近くに大当たりのラーメン屋があることに感謝し、これからお世話になりますね、と心の中でつぶやきながらラーメンを啜った。

が、めっっっちゃ不味かった。それはそれは不味かった。びっくりである。まず、麺が不味い。麺はブヨブヨになっており、まったくうまく啜れない。
いちいち麺を噛んで流し込む作業が発生するため、お腹に溜まる。
付け合わせのチャーシューも噛み切れるかどうかという不快な固さであり、
その上一切れも大きい。
本来はラーメンの名脇役であるべきチャーシューが、完全に邪魔な存在になっている。

半分ほど食べた後、隣で食べている同居人と顔を見合わせる。
彼女も同じ感想を抱いたらしく、噛みきれなかったチャーシューを口いっぱいに頬張ったまま、唖然としていた。
それなのに店員たちは、「どうだ、この店のラーメンを食えて幸せだろう」と言わんばかりの満足げな表情で、客席を見渡している。
また最も驚きなのは、他の客たちはありがたがるようにラーメンを一心不乱に啜っては、恍惚の表情を浮かべていたのだ。

退店後、そのラーメン屋は私たちの中で「ありがたいラーメン屋」と呼ぶようになった。
どうやらラーメンに味を求めるのは時代遅れであり、いかにその店にありがたがれるか、が重要らしい。
来店客たちは「ありがてえ、ありがてえ」と感謝しながら麺を啜り、「ありがたかったなあ」と満足して退店する。
あの店の洗練されたレイアウトや威風堂々とした店員たちの雰囲気をありがたがることがあの店の楽しみ方であり、味を求めて来店した私たちが間違いだったのだ。

それから一度もその店には足を運んでいない。
いつか自分もラーメンをありがたがれる人間になれた時、再び訪れようと思う。




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