日常の呟き【六月】

プチ報告
一番に好きな花が紫陽花になりました。
登校中に見かける民家から咲き零れているのを見て、心まで惹き付けられてしまいました。
あなたの一番好きな花は何でしょうか。もし良ければコメントしてください。



カップ麺の澱みは朝風呂のあとに微睡むような心地よさ。終わりある安心感を他所に、洗濯物のためと働く扇風機の孤独。人に代わり得るものは割と近くに在るが、享受するばかりでは孤独も毒と化す。人知れず抱えて特別にしたい感情も、恩を返す術が宙に転がってしまえば苦しみに変わる。誰も一人きりで生きることは出来ない。


私は買うという行為に向かないらしい。自分のものになると興味を無くす。いつでも手にとれるものに魅力を感じないからだろう。この感覚はナチュラルクズなのだろうか。
最近思う。冷蔵庫を漁って記憶にないものを見つける時のワクワク感は一人暮らし者には味わえないだろうな、と。今でもなる早で貯金をして一人で暮らしたいという願望はあるが、何かを購入する行為が苦手な私は正直、恋人が何かを買ってから家へ寄ってくれる日々を一番に望んでいる。一人で暮らしの責任を抱えて、甘えたくない。そういった気持ちを溶かしてくれる恋人が欲しい。自分に対する必要ない厳しさを溶かしてくれるって素晴らしいことだよ。
そして図書館が大好きだ。本を買わなくて済むことが大きな理由だ。決してケチなわけではない。本屋では買う価値のあるものを探してしまうからだ。こんな本が傍に置かれていて、次第に長い付き合いになるかもしれない。ムフフ。そんな理想を抱いて手に取る本は読む気が起こらない。
さらに本屋という空間が苦手だ。本屋には「購入意欲を持って来ている人」が多く、図書館と違って意識的に背筋を伸ばしている人が多い。無駄な真剣さを持ち合わせる大人に囲まれるストレス。リラックス出来ないため、図書館と違って表紙や装丁をじっくり見て惹かれる余裕が持てない。
図書館には椅子に座って時間を意識せず読書する人間が集うため、自ずと自分も読みたい本を探す気分になれる。等身大で批判的に読むことさえ出来、無駄に必要としない本を貸し出すこともない。時々は無駄にタメになるものを選ぼうとして失敗してしまうが、そんな自分も許すことが出来る。他人と同じ空間を共有しているというのに、皆んな自分の時間に向き合っている。改めて人間を尊いと思える、大切な時間をつくってくれる場所でもある。

高3になってから高校生活で最も人付き合いが盛んになり、他人との人付き合いに対する幻想や理想が良い意味でなくなった。そうして自分の心に余裕が生まれたことで、再び読書量が増えた。
そんな中思い出すのは、中学時代に知り合った男子生徒のこと。彼はずっとラノベを読んでいたわけだが、先生が話している時や授業中でもお構いなく読んでいたのである。私はある種の尊敬と興味を抱いており、彼が目の前の席になった時は少し嬉しかった。彼は話しかけられた理科を担当する教師に「うん」と返事してしまい物凄く叱られるのだが、周囲が抱く「普通」の価値観から外れているタイプの人間に親近感と好感を持つ私は鮮明にその瞬間を記憶している。
彼のことを割と気に入っている生徒に恋していた友達が彼のことに一切興味を示していないというのも、他人との感覚の違いを感じられてすごく面白かった。今はそれを「孤独」と捉えそうだと思い、中学時代にあった若さを失ってしまった気がしてならない。

6月に入ってから男性ブランコのコント動画に全て目を通した。彼らのコントに感動して号泣したことのある私は、彼らが私のやりたいと羨望していた「日頃笑えない人が笑えるお笑い」というものを達成している2人だと感じる。私はまだお笑いへの「憧れ」を捨ててはいない。自分のする事なす事に様々な見解がなされることや主観で見られることを嫌う私には向かない職業だが、きっといつか芸人さん達に関わる仕事、欲を言えば芸人さん達を支える仕事に就きたいと思う。

お笑いに関する話の角度を少しだけ変えよう。私は自他ともに認める飽き性で、最近はどうにかランジャタイへの興味を失ったことに対する失望感のない理由を欲している。自我を押し殺して生きていた自分には、あの奇怪な芸をなす2人が輝いて見えた。芸風というよりも己を貫く姿に惚れていたのである。己を貫くことが出来ずにいた私にとって、とんでもない自我ワールド、世界観を見せてくれる。人間として国崎さんに近づきたいと思い、安易にテンションを高く保って柄にもない事をいくつもやった。そのお陰で友達と3人でカラオケに行ったり5人で海に出掛けたり、自分には考えられないようなザ・女子高生な休日もあった。4ヶ月目に疲れ果て今はかなり自己主張を控えめに過ごしているので、私のなかで唯一の青春と呼べる。感謝感激。


ここまで読んでくださった方は分かる通り、私は「なぜ惹かれたのか」「どうして好きなのか」を考えるタイプの人間だ。「何となく好き」に少し気持ち悪さを覚えてしまった過去もある。
周囲には少ない語彙で簡潔に理由を話せてしまう好き嫌いが溢れており、私のプチストレスとなっている。それもあって一人の時間が必要なのである。
安易に好き嫌いを決めてしまうことにより失ってしまう出会いや機会があると考えるタイプなので、ハッキリとした判断を保留にしている感覚がいくつもある。そのせいでストレスが重なって精神崩壊なんてこともあったが、無駄な経験ではないと感じる。人付き合いのキャパも何を心地良いと感じるのかも、行動してみないと分からないことだから。無理と決めつけていたことが意外にも可能だったり、出来ると決めつけていたことが不可能だったり。そういった経験があるからこそ、自分や他者に対して絶望するには傲慢とさえ思える。



今回はこの辺で失礼します。
月1回と決めているわけではないので、今月中にまた日常の呟きを書くかもしれません。
ラフに書いて無料で提示できる場所なのに、最近は素人のくせしてクオリティを意識してしまって書けない日々が続いていたので、今回それを打破しました。
思っていることを書きたいという欲に従って、つらつら、思っていることを自分のなかに抑えきれない感覚、表現したい感覚。そういった感覚に苛まれているのは若さ故でしょうか。そうではないといいな。そうではない人と集まって色々な概念について語り合いたい。そんな事を考えます。

それでは私が大好きなサマーソングを1曲紹介してお別れといたしましょう。

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