オウム真理教との、思い出1.

 前回の投稿から、少し時間があきました。先日、たまたまテレビで、録画していた番組の中で、オウムのサリン事件がありました。
 記憶のすみにあった本件。忘れない内に何回か?わけて書いてみよう。思います。 もう私達とは、縁きれて15年以上経過してるからですね。
 1999年頃に、私の実家が所有するテナントに、オウム真理教からの、分派団体である「ひかりの輪」が、入居したいと話がきました。
 話の詳細は、覚えていませんが確か?当時東住吉の方にいたのですが、住民の移転要求があり、話が巡り西成区のビルに、希望がきたのです。
我が家は、オウムの信者ではありませんしあの事件の時は、私はたまたま東京にいて、まかれた電車の1本後にのる積りで、地下鉄の駅に待機して後で、ぞぉ~としたのを記憶しています。
 父から本件話を、聞きさすがに即答せずしばらく悩みました。最終的には、被害者にきっちりと賠償しているのが、確認できたので家族会議の結果、入居しょていただこう。と決めました。
 しかし、それから「ひかりの輪」さんが資金不足で退去されるまで、約3~4年。行政機関(詳しくは、西成区役所)、地元住民、マスコミ等すごい
闘いに、なろうとは思いませんでした。予想以上でしたね。
 妨害運動を、止める為に反社会活動(詳しくいうと、任侠団体)団体からの、営業もありましたから。。
 暫く、旅行業の思い出を中断して、こちらを書きます。 申し訳ないですが、このシリーズは有料記事にさせて頂きます。あまり広めたくないのでね。 無料より有料だったら、読む人いないだろう?の予想です。
私が、忘れないために、書くだけなので。ご了承下さい。

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