雑談 2024/02/09

今、「I AM THAT」に目を通し終わった。

読みにくさの要素が、また分かった。

これは、途中から何度か出てくる
「西洋と東洋の違い」という話題が一つのヒントだろう。

読んでいて 質問者は言葉の取り扱いの上手い という印象を持つことがある。
間髪入れずに、質問が飛び出しているような印象だ。
「それはどうゆう?」「関係性は?」
言葉の取り扱いが上手すぎる故に、頭(マインド)での理解を先行させようとしているように感じる。体感や実践は後回し。
相手の言葉を噛みしめるような反応が省略されているのかもしれないが・・・
英語というのは、言語として説明や議論をしやすいのかもしれない。

もう一つの印象として、
「世界の不幸・苦しみを取り除かなくては」という意識が大きいように感じる。
アメリカから来ていた質問者もいたからだろうか。
地球全体の不幸に対して、自分の行動で何かが即座に変わる。ということを求めているようだった。


何の話か?

ニサルガは同じような言葉 同じような比喩を使っているのに、
ここまで読み進められないのは、
質問者の苦悩が、私には見えにくいから。
という話。

読み進めていく内に、徐々に質問者への答えに予測ができてくる程、ニサルガは同じような言葉を使っている。
「あなたの目覚めと、世界はどちらが先にあっただろうか?」
「それらは同時に現れる」

ニサルガの示す実存・真我
西洋文化から出てきている苦悩
が、質疑応答内で繰り広げられているのだ。

西洋文化の苦悩という立場から ニサルガにぶつかる。
ニサルガは実存の側から 西洋文化の苦悩に対して 言葉をかける。

私には下地となる情報が薄い 苦悩
そこに対して投げられる 遥か彼方 言語化不可能な側の言葉。

これが読みにくさ についての正体だと感じた。

一旦、ここまで。
また、一章ごとの格闘を再開したい。

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