I AM THAT との格闘4

今回の内容もかなり難解だ。

4 p30-


因果関係とは、物理的あるいは精神的空間のなかで起こる出来事の時間的連鎖を意味する。
時間・空間・因果関係は精神領域にあり、マインドとともに現れては消えていく。

宇宙の潜在的可能性は無限のため、その内容物によって限定されることはない。

過去と未来が共通のパターンの一部として、永遠の今においてみられる時、原因と結果という概念は効力を失い、創造的自由が現れる。

誕生を与え、名前と形を与えるのは欲望なのだ。欲せられたものが創造され、望まれて、触れることができ、思い描くことのできる何かとしてそれ自身を顕現させる。
このようにして、私たちの住む個人的な世界は創造されるのだ。
真の世界はマインドを超える。

網とその多くの矛盾を見るがいい。
ことあるごとに、あなたは何かを為し、そして取り消す。

欲望は多くの要因のなかの一つだ。
あらゆるものには無数の因果の要素がある。
そのすべての源は、あなたのなかにあり、それは愛と力と光をすべての経験に与える至高の実存なのだ。
だが、この源が原因ではなく、またどの原因も源ではない。

ものごとはあるがまま在るのだ。なぜなら宇宙があるがまま在るからだ。
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私は、
「○○なので、△△」「○○だから、△△」というのが因果関係だとイメージしている。
これは、時間的連鎖を意味して、現れては消えていくものだそうだ。
確かに、「○○が起こり」「△△が起こった」そこに何かのつながりがある。と感じているのが因果関係と言われるものだろう。

「唯識」のwiki内にも「三性」という項目で似た内容があった。

諸存在は無常であり、時には生滅を繰り返して最終的に過去に消えてしまうであろう。即ち、それら諸存在(色)は「空」であり、実体のないものである(色即是空)
(中略)
三性のなかで、第一の遍計所執性はその性格からみて、すでに無存在である。つぎに依他起性は、自立的存在性を欠くから、やはり空である。また、同じ依他起性は存在要素の絶対性としては、第三の円成実性である。そして、どういう境地においても、真実そのままの姿であるから真如と呼ばれる。その真如は、とりもなおさず「ただ識別のみ」という真理である。これを自覚することが、迷いの世界からさとりの世界への転換にほかならない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98#%E8%AD%98%E3%81%AE%E8%BB%A2%E5%A4%89

諸存在は空 なので △△である。
という、因果関係は成り立たないだろう。△△もまた、空だ。
空であり、空であった。 というのが「ただ識別のみ」の意味だと思っている。
この 空であり、空であった。の中にいる時の時間感覚が、通常時と違うように感じている。私の体幹は長く、時計の時間は短い。
また、この時間感覚の中で、持っていられる意識というのも限られているような感じがしている。
この中で祈れるというのが目標である。
「ただ識別のみ」の中で「祈り」が残れば、上出来ではないか。
「祈り」以外が空なのか・・・
その中に留まる というのが、先なのか・・・

脳波が下がると、時間感覚が長くなる という話は、政木和三博士の言葉だったと思う。
一晩がかなり長くなると聞いた気がするが・・・どうだったか。

内容物によって限定されない。というのは、
○○なので、△△である。 という絶対の縛りは宇宙にはないということだろう。


過去と未来が共通のパターンの一部として、永遠の今においてみられる時、原因と結果という概念は効力を失い、創造的自由が現れる。
とある。

人類が生まれ、発展し、消えていく というのが共通のパターンとしてみられる時
なぜ人類が生まれ、なぜ消えていくのか という問いは意味が無い。
しかし、生まれ消えていくまでの間に、何をするのか・どのように進化するのか という創造と自由がある。

永遠の今 とは、なんだろうか。
とにかく長ーい時間を眺めているという意味では、こうゆう意味になるのではないか。
多少はかみ砕いているような、誤解を混ぜ込んでいるような。
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欲望によって、世界を認識して、個人的な世界が創造される。
ということなのだろう。
苫米地博士がよく使う「スコトーマ 心理的な盲点」という言葉があるが、
これの逆を指摘しているのではないか。
欲望によって、心理的な注目が起こり、誕生・名前・創造などなど が現れるということ。
欲望による注目を 真の世界は超えている。
ニサルガのいう「マインド」を、「五感の実況とそれらへの脳内での感想」と一旦置いているが、それも真の世界は超えているだろう。

そして、その欲望や「五感の実況とそれらへの脳内での感想」は、穴だらけであり、その向こうがあるのだろう。



そのすべての源は、あなたのなかにあり、それは愛と力と光をすべての経験に与える至高の実存なのだ。
だが、この源が原因ではなく、またどの原因も源ではない。

ものごとはあるがまま在るのだ。なぜなら宇宙があるがまま在るからだ。

「愛と力と光を」「すべての経験に与える」「至高の実存」
ここはこのまま受け取るしかないだろう。
難解すぎるので、宿題にしたい。


朝5時の動画の更新が止まっても、自主学習しよう と、始めたのだが
夜の作業ばかりで、朝できないのはどうしたものか。



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