日月神示の時節 の話 と雑談

いろいろな超科学や精神世界を覗きに行ってはよく分からないでいる。

私の他にもそういった方はいるだろうと思う。
その中でも難解なものに「日月神示」があるだろう。

「日月神示の時節」というブログがある。


ここの考察がかなりレベルが高い思っている。
「これが正解の解読なのでは・・・」とすら思っている。

2012年ごろから書かれたようだが、
2023.10.22 が最後というか、最初に置かれている。
そこを過ぎても更新が無い。

このブログでは、
2023年が 大いなる試し の年であり、
2024年が 新しき神代のはじめ と、読み解いている。

「この考察があっている 間違っている」とか、
「来年何かある ない」「神代が来た 来てない」
そういう話をしたいのではない。

現在、コロナなどの混乱のある時期ではあったが、私個人は一応無事でいる。
これは、ありがたいことだ。

大難が小難となったのだろう。
私個人にも強く感じるほどの、大きな困難ではなかったのだろう。
そこには、たくさんの知らない事情とたくさんの存在の関りがあったのだと思う。
だから、ありがたいのだ。

全ての苦しみが無い・明らかに変化したような神代 というのを体感している人はいないのではないかと思う。
しかしながら、
「穏やかに新年の準備をしている」
「当たり前に少し先の世界を、受け取る準備をしている」というのは、
幸福なことだと感じている。

何も起こらない日常 のために、
日々、必死になる。
ということを、一つ信条にしている。

記憶に残らなかった日々に 感謝を。

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宇宙全史の話を少し。

古川先生の話に「覚醒した私 最前線に取り残された私」というような話がある。
何も起こらず続いていく、というのはそういうことなのではないか。
とも思っている。

また、2035年というのを宇宙全史では明言している。

私にとって
「世界が終わる」「新しい世界が始まる」というのは、
1999年のノストラダムスから、毎年のようにずっと続いている話だ。

少し先の世界に、絶望を置いてみたり 希望をおいてみたり・・・
「少し前の方が良かった」とか、「あの時は良かった」と愚痴が出るのだから、
今の現状が一番良いのだ。今が最高潮。

「戦士の生き方」というのが、話されることがある。
ドンファンシリーズの言葉だったと思う。
正確な意味合いは、理解していない。

「未来や過去に、過度な希望や絶望を持たず、
何もない日常を大切にする」
という生き方を、私は現状では掲げている。

2035年まで生きられない かもしれない。
2035年まで生きられる  かもしれない。
2035年後も生きられる  かもしれない。

その時までに足りるのか、間に合うのかは分からないが
毎日、腹を括っていく。覚悟を強くしていく。

そんな終末期の年末。


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