普通って言葉以上に無責任な言葉って存在しないと思う。 自分はきっと普通じゃなかった。多分発達障害の何かしらを所持しながら今まで生きている。親や先生には「なぜできないの?」「普通はこうやるのよ」なんて言われながら生きてきた。 常にその言葉に対して思ってきたのが「普通ってなに?」「普通の定義を教えてほしい」ってことだった。 その普通ができなくて、いじめられる経験もたくさんあったが、みんながなぜいじめたりするのか、よく分からなかった。 だが、様々な視点が容認されてきた今、私が
3月29日。これは私にとって感慨深い日である。 私が24年前生まれた日。あっという間にたってしまった。 どんな人生を送ってきたか。よくわからない。あまり記憶もない。 ぱっと思いついたことを書く媒体が欲しくて。 清少納言が枕草子を書いたように。徒然なるままに。 書いていきたいと思う。