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【シリーズ第12回:黒人アーティストの人生】🎵ソウル(魂)を感じたい🎵

 このシリーズでは、私の大好きな黒人アーティスト、特に、1970年代、80年代に活躍したR&B、SOULミュージシャンを紹介しています。

・・・さて、誰でしょう🎵


さて、誰でしょう🎵

ヒント

  1. ソウル、R&B、ゴスペルシンガーです。

  2. シンガーソングライター、プロデューサーでもあります。

  3. メンフィスで牧師もしています。

  4. 最後のソウルシンガーと呼ばれています。

  5. 100人のグレイトシンガーのうちのひとりです。

  6. グラミーは11回受賞しています。

  7. 途中でゴスペルシンガーに転向しますが、ソウルシンガーだったデビュー当時、女性は皆、彼のパフォーマンスでメロメロになった。まさに”The Soul Singer”、”The Soul Show”だ。

  8. 私はこのシンガーのスムースでセクシーな歌声と、ライブパフォーマンスが大好きでーす♡

生い立ち

 1946年4月13日、アーカンソー州で生まれました。
 10人兄弟の6番目で、パパはシェアクロッパーだった。
 最初のパフォーマンスは10歳のとき、兄弟で組んだゴスペルグループだ。
 しばらくして、家族でミシガン州へ引っ越しをする。

 13歳になった彼は、Jackie Wilson、Wilson Pickett(ウィルソン・ピケット)、Elvis Presley(エルヴィス・プレスリー)に夢中になった。ゴスペルを聞きつくしたからだ。
 しかし、パパはゴスペル以外の音楽を認めない。Jackie Wilson(ジャッキー・ウィルソン)を聞いていることを知ったパパは、彼を家から追い出した。
 パパも頑固なら、彼も頑固だ。追い出された彼は、売春婦と暮らし、違法、合法、あらゆることをしてお金を稼いだ。

 ハイスクールになると、仲間と組んだバンドで、インディーズのレーベルをつくり、レコードをリリースした。
 彼が暮らしていたのは、モータウンがあるミシガン州だ。
 もちろん、オーディションを受けに行った。
 けれども、このときの彼は、モータウンに興味を持ってもらえなかった。
 
 そんなある日、メンフィスのWillie Michell(ウィリー・ミッチェル)から、テキサスで行うライブに、ヴォーカリストとして出演して欲しいと連絡がある。
 トランぺッターのWillieは、Hi Record(ハイ・レコード)のプロデューサーだ。
 このライブの後、彼のユニークな声に惚れたWillieは、メンフィスへ来て、Hi Recordと契約することを、彼に提案した。

デビュー

 Hi Recordと契約し、レコーディングが始まった。
 この頃の彼は、Wilson Picket、Jackie Wilson、Sam Cooke(サム・クック)、James Brown(ジェイムス・ブラウン)など、好きなシンガーのシンギングスタイル、声を真似ていた。
 
 「他のシンガーじゃなくて、自分らしく歌ってよ」
  と、Willieは言うけれど、彼には自分自身の歌がわからない。
 「俺らしくって、どんなん???」
 「・・・ん~・・・そうやな・・・君はもっとクールやねん」
 「クールかぁ・・・わかった・・・」

 こうして、現在の彼の歌声、スタイルが出来上がった。

 1枚目のアルバムはイマイチ売れなかった。
 けれども2枚目(1971年)は、売れる気しかしなかった。
 The Temptationsのカヴァー”I can't Get Next to You”は、スローなテンポで、オリジナルよりファンキーだ。
 しかし、3カ月、4カ月、5カ月待っても、何も起こらない。
 我慢ができなくなった彼は、アルバムの宣伝をするために、自らニューヨークへ行った。

 6か月後、ニューヨーク、シカゴ、フィラデルフィアの雑誌が彼のアルバムを取り上げた。

 そしてアルバムの収録曲、”Tired of Being Alone”が大ヒット!!!

その人物とは・・・

 







Al Green(アル・グリーン)で~す。

 Al「この撮影が終わったら・・・君とどこか別の場所へ行って、お互いのことを深~くわかり合いたいなぁ」
 女性客「・・・きゃ~~~!!!!!!!」

 どうだ~~~っ!!!これぞソウル・ショウ!!!

 そして、ささやくような、彼のスムースヴォイス・・・
 「・・・Together・・・Baby・・・」
 
 たまりません・・・。

ヒット!!ヒット!!ヒット!!

 次にリリースしたアルバム”Let's Stay Together(1972)”は、タイトル曲が大ヒット!

 「一緒にいよう(Let's Stay Together)」・・・タイトルで、すでにメロメロです。
 
 「君に夢中だよ。
 君のしたいことをしよう。
 あ~、君と人生を共にしたいなぁ。
 君をず~っと愛し続けるよ。嘘もつかないよ。
 いい時も悪い時も、ハッピーな時も悲しい時も、愛し続けるから、一緒にいよう。
 別れる人もいるけれど、俺にはわからないよ。
 君はそんなことしないよね。
 あ~、これからもずっと、一緒にいようよ」

 こんな歌詞に、彼のドキドキするセクシーな歌声とパフォーマンスだ。

 うわ~い!一緒にいる~!!!・・・と思う。

 次のアルバム、”I'm Still in Love with You(1972)”は爆売れ。
 邦題、”俺はまだ君に惚れてるんだ”は、前のアルバムを受けてのタイトルなのか?

 「俺は今でも君に夢中だよ。わかってる?
 俺たちの愛は本物だよね?
 俺は君の愛に包まれてるから・・・きっと本物だよね」

 ちょっと自信がなくなってきたのか???

 そして、アルバムのB面に収録された”Look What You Done for Me”では、どことなく雲行きがおかしくなる。

 「俺にとって君といた時間が一番なんだよ。
 君は俺の心を解放してくれた。
 君はするべきことを全てしてくれたよ。
 愛してる。
 でも時々、逃げたくなる・・・つじつまは合わないけどね。
 俺は誠実じゃなかったかもしれないけど。
 愛してるんだよ~」

 次のアルバム”Call Me(1973)”では、収録された10曲のうち3曲が大ヒット。 
 その中の一曲が”Here I Am(Come and Take Me)” 

 「君が俺をこんな気持ちにするなんて信じられない。
 君は俺の心を真っぷたつに引き裂いたよ。
 俺たち二人、ずっと一緒にいたのに。
 俺に話して・・・教えてよ。
 俺のところに戻ってきて。お終いなんて信じられない。
 俺はここにいるよ。
 戻ってきて、俺の手をとって。きつく、熱く握ってくれよ~」

 ふむ・・・ますます怪しい雲行きだ。

 そしてB面の、”You Ought to Be With Me(君は俺と一緒にいるべきなんだ)”。
 ちょっと強気のタイトルだ。

 「どうしたいか話してごらん。
 君は俺と一緒にいるべきなんだよ。
 人がどう思ってるかじゃなくて、俺がどれだけ君を愛しているかを話そうよ。
 もし君が友達でいたいなら、出て行ったらいいよ。そしてまた、戻っておいで。

 君が他の男といる理由なんか浮かばない。
 君は俺と死ぬまで一緒にいるべきなんだよ。
 もし君が友達でいたいなら・・・君をきつく抱きしめて、今夜は君の好きな愛し方をして、素敵な気分にしてあげるよ」

 結果、強気のようで、強気じゃない???

 あ~ん・・・好きな曲が多すぎて、キリがない。
 というのも、彼はたった3年間で、5枚のゴールドアルバム、2枚のプラチナシングル、10枚のゴールドシングル、3枚のプラチナシングルを記録した。
 紹介したい曲が多すぎる~!

ゴスペル!!

 1970年代は、彼にとって大忙しの時代だった。
 仕事も忙しかったけれど、パーソナルライフでも色々あった。

 1974年10月のことだ。その時お付き合い?をしていた女性が言った。
 「困ったことがあるの・・・私、あなたを愛してしまったみたい・・・」
 「ん~、そうなん?俺も好きやからええんちゃう~」
 「結婚してくれる?」
 「え~・・・結婚は考えてないなぁ・・・」
 という会話があった後だ。
 彼の家に戻った彼女が、キッチンでお湯を沸かし始めた。
 「なんでお湯を沸かしてるん???」
 返事がないので、風呂へ行った。
 そこへ、煮えたぎったグリッツの鍋を持った彼女がやってきて、彼にぶっかけた!!!

 *グリッツはアメリカ南部では朝食の定番。とうもろこしを荒く挽いたもので、お湯や牛乳で戻し、塩コショウで味を調えて頂く。

 グリッツはお湯と違い、体にねっとりと引っ付く。背中や腕、腹を大火傷し、のたうち回っているところに、寝室から銃声が聞こえた。
 自らの命を絶った彼女は、結婚をしていて、3人の子供がいたらしい。
 火傷の治療を終え、退院をしてから知った事実だった。

 退院をした翌日、彼はいとこに銃を突き付けられた。Alの借金が原因だった。
 その他、未払いの金があるとバンドメンバーから訴えられたり、暴力を振るわれたと嫁や秘書から訴えられたり、トラブルも山積みだった。

 彼女の死はショックだったし、次から次へと起こるトラブルに、さすがの彼も自分を省みた。
 そして・・・1976年、彼はメンフィスで教会(The Full Gospel Tabernacle Church in Memphis)を購入し、牧師になった!!

 1978年までは、Hi RecordからR&Bのアルバムをリリースしていたけれど、1979年、ステージから落ちたときに、これは神様のメッセージだと捉える。

 「俺は、二度と世俗的な歌は歌わない!
 俺が歌うのは、ゴスペルだけだ~~~!!

 Willieは、
 「どっちも歌ったら?」
 と言ったけれど、Alの決意は固かった。

 牧師さんのAl Greenも好きです (↓)

1988年以降

 約10年間、彼はゴスペルアルバムをリリースし続けたけれど、1988年以降は、ゴスペルにこだわらず、色々なジャンルを、様々なアーティストと歌うようになった。
 
 Annie Lennox(アニー・レノックス)とポップアルバム、Lyle Lovett(ライル・ラヴェット)とはカントリー・アルバム、Ann Nesby(アン・ネスビー)とは、ゴスペルアルバム。
 Queen Latifahは、Alをフューチャーし、彼の”Simply Beautiful”のカヴァーをリリースした。
 その他、多くのヒップホップアーティストが、彼の曲をサンプリングしている。

 2014年12月7日、68歳のとき、彼はケネディーセンター名誉賞を受賞する。
 この賞は生涯にわたり、舞台芸術を通して、アメリカ文化に貢献した人に贈られる。

「ケネディ大統領を記念する場所で、オバマ大統領夫妻の前で受賞できるなんて、夢みたい」

 ちょっと長いけれど、授賞式のビデオ。
とっても嬉しそうなAlが見れるよ~。お時間のあるときに、よかったら観てくださ~い🎵

最後に・・・

 2009年頃だったかな?Al Greenの屋外コンサートへ行った。
 かなり後ろの席だったので、Alの姿はアリンコ並みに小さかったけれど、

 「Haaaaaaaaa・・・」
 
 という彼のスムースヴォイスに、嬉しくて、ひっくり返りそうになった。
 本当に素敵だった。

 「いつ」というのは未公開だけれど、メンフィスのチャーチでは、今でも時々プリーチングをしているそうだ。
 行ったことはないけれど、Alがプリーチングをする日に行ってみたいなぁ。
  
 ”Love And Happiness”など、好きな曲はまだまだあるけれど、最後に、Bee Geesのカヴァーで、”How Can You Mend a Broken Heart”。

 「俺のボロボロになった心を癒してくれないかな?お願いだよ。もう一度、俺が人生をやり直すために、生きるために、手を貸して欲しいんだ」

 この曲を、こんな風に歌えるのはアル・グリーンしかいない。

 ん~・・・たまりませ~ん!!


最後まで読んでくださってありがとうございます!頂いたサポートは、社会に還元する形で使わせていただきたいと思いまーす!