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【第17話】36歳でアメリカへ移住した女の話 Part.2
嬉しいな、有難いな😊
私の職場は、大きなグロッサリーストアの中のアジア食品部門だ。
最初の3か月間は、本気でしんどかった。
肉体労働に加え、「英語で話しかけられる!」という恐怖と緊張感で疲労困憊だった。
けれども、その3か月間で、私は自分の実力を理解した。
この空間で、英語ができないのは私だけだ。
私の中にある羞恥心なんて、無駄でしかないと気が付いた。
そこで、例え相手が客でも、わからないことを悲観したり、恥ずかしがったりせず、とにかく質問することにした。
理解できないときは、
「わかりません」
「それはなぁに?」
と明るく質問する。
アメリカ人にとってはポピュラーな物でも、私にとってはそうでない商品は意外と多い。
例えば、
「オドワラどこ?」
と商品名で聞かれても、それが食品なのかどうかもわからない。
「食べ物ですか?」
と聞くと、
「飲み物や」
と教えてくれる。
飲み物とわかれば、飲み物を売っているセクションまで案内すればいい。
「場所を言うてくれたらええよ」
と言われても、
「場所の説明の仕方がわかりません」
と言い、客を飲み物のセクションまで連れて行く。
私の場合、しどろもどろで説明するより、歩くほうが早い。
そしてお客さんがオドワラを手にしたとき、それが100%のフルーツや野菜のジュースであることを知る。
有難いことに、この店に来るお客さんは、ある程度経済力があり、穏やかな人が多い。
もちろん、私が理解できないことにイライラして、
「もうええわ」
と立ち去る人もいるけれど、多くの人が、快く質問に答えてくれる。
商品の素晴らしさまで説明してくれる人もいる。
そして気が付いた。
「知りません」「わかりません」「できません」が言えるようになると、いいことがいっぱいある。
人に物を教えることが好きな人は結構多い。
私にとったら、商品の知識が増えるだけではなく、英語のトレーニングにもなる。
しかもタダだ。
最後に、
「教えてくれてありがとう!よい1日を!」
と言うと、
「良かったね!これで次から大丈夫!またね!」
と一日一善、お客さんもご機嫌で帰って行く。
さらに、英語が話せない従業員として記憶に残り、次に会ったときには挨拶をしてもらえるようになる。
そして、面倒くさいと思ったお客さんは、二度と私に近付かない。
この英語教室の問題点は、多くの場合、間違いは訂正してもらえないことだ。
タダなので仕方がない。
例えば、アメリカ人はタイフードが大好きで、ほぼ毎日、パッタイの作り方を聞かれる。
「水か、ちょっと温かい水に麺を浸けて・・・」
乾麺を戻す説明をすると、お客さんが「ん?」という顔をする。
とりあえず理解できるようで、
「ありがとう」
と帰って行くけれど、ほぼ100%のお客さんが「ん?」という顔をする。
そこで、フローラル(花屋)で働く同僚、メリッサに教えを請いに行った。
原因は「温かい水(ウォーム・ウォーター)」だった。
私の発音では、”温かい”ではなく、ミミズなどの”虫”になるらしい。
ミミズみたいな虫がいっぱい入った水の中に乾麺を浸けろと言われたら「ん?」となって当然だ。
有難いことに、変な英語を使う日本人を、気に入ってくれるお客さんもいる。
「へーい!お気に入りの従業員!」
買物へ来るたびに、満面の笑顔で声をかけてくれる男性がいる。
そして、
「今日は軍手してないの?」
「今日は軍手してるんや!」
どちらかのセリフを言う。
始めて会った時に、結構話をしたはずなのに、英語が話せないというイメージしか残らなかったようだ。
もうちょっと話せるけど・・・と思うけれど、明るく声をかけてもらえるだけでも嬉しい。
軍手をしている、もしくはしていない両手を広げて見せて、
「よい1日を~(Have a good day~)」
と笑顔で返事をする。
「あんたのこと大好きやのに、いっつもおらんから、辞めたんかと思った」
と言うおじいちゃんもいる。
会えない理由は、私が休みの木曜日に買物へ来るからだ。
同僚が、
「ユミコの休みは木曜日」
毎回教えるけれど、木曜日に買物へ来る。
たまに、別の日に買物へ来て、私を見つけては、”大好きやのに”と言う。
店を一歩出ると瞬時に忘れるけれど、店に入ると、私のことを思い出してもらえる。
有難いことです。
アメリカ人のお客さんとの、互いに理解できているかどうかすらわからない、いい加減なコミュニケーションは、なかなか楽しい。
けれども、やはり日本人のお客さんとのおしゃべりは格別だ。
日本人というだけで、瞬間的に信頼関係を築くこともできる。
けいこさんのお宅には、私の箸と茶碗もそろっている。
知り合ってすぐに、彼女が手首を骨折し、お買物ができない時期があった。
仕事帰りに買物を届けているうちに、すっかり家族化した次第だ。
けいこさんが、私にヘルプを求めた時点で、困り果てていることは明らかだった。
私にとったら1日の終わりに、けいこさんとおしゃべりができる。
ちょっとしたご褒美だ。
そして何よりも、誰かの役に立っていると感じられることが嬉しかった。
箸がある家は、けいこさんのお宅だけだけれど、おすそ分けはよく頂いた。
「お餅をついたから」
「ケーキを焼いたから」
「畑で日本のキュウリができたから」
色々な方が、色々なおすそ分けを持ってきてくださる。
日本で暮らしている頃は、近所からよくおすそ分けを頂いた。
もちろん、私がすることもあった。
ところがアメリカでは、「おすそ分け」をする相手がいない。
物が欲しいのではなく「持って行ってあげよう」と思って頂けること、そして、「持って行ってあげたい」と思う相手がいることが嬉しい。
私は仕事をしながら、自分から探しに行くことなく、素敵な日本人のお客さんとお友達になれた。
とってもラッキーだ。
けれども私には、さらに素敵なサプライズが待っていた。
なんと!
買物に来るお客さんの中に、中学校の同級生を発見した!
30年ぶりの再会だった。
すぐにはわからなかったけれど、彼女を見た時、どこかで会った気がした。
「ハロー」
声をかけても、不愛想に、小さな声で「ハロー」と通り過ぎる。
日本人かどうかもわからない。
何度目かに見かけた時、我慢ができなくなり、日本語で声をかけてみた。
「どっかで会ったことがあると思うねんけど・・・」
「そうなん?」
・・・関西人だーーー!!
旧姓を名乗った瞬間、中学時代に逆戻りして、あだ名で呼び合っていた。
この時の喜びを活字で伝えることは難しい。
彼女は結婚をして、私がアメリカへ来るもっと前から、ご主人の実家のあるシアトルで暮らしていた。
数日後、私たちは食事に出かけた。
頬の筋肉がおかしくなるくらい、2時間以上爆笑し続けた。
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シカゴシックの私が、その日その日を、どうにか明るく乗り越えることができたのは、けいこさんやマネージャー、お店で出会うお客さん、同級生のおかげだ。
シカゴシックは強敵で、なかなか治らないけれど、私はものすごーく恵まれていた。
有難い限りです。
最後まで読んでくださってありがとうございます!頂いたサポートは、社会に還元する形で使わせていただきたいと思いまーす!